阪神淡路大震災後のそごうVS大丸

本日は神戸における阪神・淡路大震災後のそごうVS大丸の戦いに関して記載します。

1995年1月に阪神・淡路大震災がありました。記憶では何年後かに神戸に行ったときに、電車の車窓から復興していない住宅街が目に入り、被害の大きさを感じていたことを思い出します。この震災による影響は大きかったと思いますが、百貨店の趨勢にも大きな影響を与えていたようです。

 阪神・淡路大震災の影響により、神戸の地域一番店を競い合う、そごう神戸店と大丸神戸店、双方ともに店舗建物に大きな被害を受けました。

そごう神戸は、震災前は年商1000億円クラスで地域一番店。当時のそごうの基幹店でした。そのため、当時経営不振のそごうからすると、神戸店を早急に復興する必要性がありました。そこで、倒壊した三宮駅前側の店舗としてメインのゾーンをへこまし、正方形ではなく「コの字型」の店舗形状で、1996年4月に全館復興開店をしました(売場面積:震災前の約85%の41,000平方メートル)。しかしながら、店舗面積が「コの字型」に大きく変形したことで、売場フロアでの平場が取りづらくなり、それまでのそごう神戸店の強みであった品揃えのボリューム感が出せなくなりました。また、形がコの字型ですから、当然、売場の見通しも悪く、顧客の回遊性も悪化しました。震災によって失われた売上・利益を早期に取り返すため、体裁にこだわらず復興開店を急いだという形でしょうか。

 大丸神戸店に関しては、震災前、売上高が大阪・心斎橋店、京都店に次ぐ社内第3位の店舗でした。震災後、1995年4月に震災前の約1/3の売上規模で営業を行っていましたが、復興開店をしたのは、そごう神戸店に遅れること1年の1997年4月。200億円を投じ、三宮側の被災部分を取り壊し新規に建て替える工事を行い、店舗面積も震災前とほぼ同じ49,000平方メートルでの復興開店となりました。これにより、店舗面積がそごう神戸店よりも大きなものとなりました。大丸神戸店はこの建て替えをするのを機に、上質顧客を戦略ターゲットにし、建物環境デザインを「クラシック&モダン」をテーマにしたものとしました。また、MD面においては「新・山の手感覚の正統派」とし、ファッション分野を拡大したり、各階に「シーズンメッセ」という季節商品を集積する売場を設けたりしました。

そごうは経営破綻後、西武百貨店主導で経営再建されることになりましたが、着々と売上を伸ばしていた大丸神戸店から大きく水をあけられる結果となり、近年の推移においても、大丸神戸店に対するそごう神戸店の売上比率は、2008年45.7%、2009年47.1%、2010年48.5%と依然として低調な状況にあります。

かつて地域一番店であったそごう神戸店は震災をきっかけとしてその地位を奪われることになりました。このことから、短期的な売上・利益を求めるあまり、長期的な視点で店づくりの戦略を描けないと戦況を不利にするということが言えると思います。

 (参考文献 全国百貨店の店舗戦略2011)

大丸札幌

本日は大丸に関して札幌大丸店を軸に記載します。

【大丸の改革】

大丸は1999年から営業改革を開始しました。その改革で“それまで売場ごとに差が生じていた個々の売場の業務プロセスを標準化して、本社が店舗・事業部を横断的に管理”“スケールメリットにより大丸がMD業務への関与を深めることのできる一括仕入れ制度の導入(※)”“ITによる業務のシステム化”を行ってきました。それら改革により生み出したキャッシュフローを活用して中心部に立地する大規模店舗の出店・増床、及び百貨店業界では珍しい郊外のショッピングセンター内などへの小規模店舗の出店を積極的に行ってきました。

【大丸札幌店の高効率・高収益ビジネスモデル】

大丸の営業改革開始時、地域一番店が神戸店のみでした。それに対する対応策として大規模店舗の出店を行ったのですが、2003年3月に売場面積4.5万平方メートルの札幌大丸店を開業しています。札幌は大丸にとって全く基盤のない地域で知名度も低かったので、しがらみなく、上記のような営業改革で蓄積した知識を取り入れ、顧客満足と効率性の双方を追求するストアオペレーションと売場づくりを行いました。

品揃え面では、札幌の既存百貨店との競合を避け、中低価格の商品を充実。札幌初となるブランドや地域のブランドを導入し、新規性と親密性のあるブランド構築を行いました。店舗構造は商品ストックを十分に確保。在庫品の並べ方を標準化して従業員の誰でもピッキングが迅速にできるようにしたり、ストック場の通路幅を90cmとって台車の出入りを可能にして、納品・返品などの業務を容易に行えるようにしたりしました。顧客の待ち時間を減らすために「ストック場から商品出しは60秒以内、接客後の返却は90秒以内」というルールも決めていました。

組織面では、それぞれの従業員が担う役割を明確化し、これに適する要員を算出し配置するとともに、マネジャーの人数も1フロアに1名としました。また、約40人の営業支援チームを設置し、返品処理・包装・倉庫整理・日報処理等の付帯業務を部門横断的に担当するようにして、店頭の販売員がこれらの付帯業務に時間を割くことなく、販売に専念できるような体制を整えました。

これらの効率化を目指した施策により、大丸の同規模の店舗の場合、800名から900名の社員で運営していたところ、札幌店は約500人で、しかもその半数はパートタイマーなどで運営することができるようになりました。この結果、札幌店の売上高人件費率は低まり(3.8%)通常、3~4年かかる営業黒字化を開店初年度で達成するという成果を上げました。

札幌店は、主要ターミナル駅に直結するという好立地と営業面の成果もあり、売上高で増収を続け、開店初年度の2004年2月期の売上高393億円が、2011年2月期の売上高544億円へと成長。札幌で地域一番店にまで成長しました。

【大丸札幌店の横展開】

2008年、東京店移転増床時には札幌店での経験を活かしました。例えば、移転後の東京店の靴売場は面積が旧店と同規模だったのですが、ストック場の面積が拡張されていて、10ヶ所に分散していたものを3ヶ所に集約しました。また、通路幅や棚の商品分類なども札幌店と同様の方式を導入し、在庫探しの時間を従来の4分から2分以内に短縮するような工夫を行いました。売場マネジャーの人数も1フロア1人にしました。

大丸は営業改革の成果を、他店舗にも取り入れ、進化させてきています。主要ターゲットを18~34歳に絞り込んだ「うふふガールズ」も心斎橋店北館での成功を受け、京都店を始めとした各店に展開しています。

この進化の繰り返し、変化できる力が大丸の強さの一つだと思われます。

※百貨店のMD業務では、店舗の販売力が強いほど人気ブランドや売れ筋商品が確保しやすい状態になっています。これは近年、百貨店の取引先に対する交渉力が弱まり、取引先が販売先の百貨店を選択することが可能になったためです(逆選別)。取引先は商品の売れ残りリスクを自らが負担するため、売れ残りを防止するために販売力のある地域一番店に有力ブランドや売れ筋商品を集中させ、販売力のない百貨店には注文数に満たない商品を納品する場合があります。このため、大丸は一括仕入れ制度を採用し、商品力の強化を図ろうとしたのです。また店舗が仕入れに要していた負荷を軽減し、サービス提供業務に専念することも可能としました。

(参考文献 日本の優秀小売企業の底力)