価格戦略(値下げ)に関して

本日は価格戦略(値下げ)に関してです。

 日本マクドナルドと言えば、店舗売上高においても経常利益額においても飲食業界でトップを突き進む企業です(2011年段階)が、過去、その業績を大きく落とした時期がありました。それは2002年6月の中間決算(1~6月)においての話ですが、その際、売上高に関して前年同月比△3.9%、経常利益、同△80.5%、税引き後利益、同△81.4%となり、大きく減収減益となりました。理由はBSE問題やインフルエンザ検出による鶏肉輸入停止による「チキンナゲット」販売中止などがあるようですが、もう一つの理由として「ハンバーガー平日半額セールの打ち切り」の影響も大きいようです。

マクドナルドの価格戦略は、1995年4月にハンバーガーの値下げが行われ、例えばハンバーガーが210円から130円、チーズバーガーが240円から160円に値下げが実施され、その後2000年2月14日には「ウィークデースマイル」プログラムが実施され、ハンバーガーが平日65円、チーズバーガーが平日80円と更なる値下げが行われるという経緯でした。「ウィークデースマイル」は大きな結果を残していて、2000年、平日の販売個数は前年比4.8%増、ハンバーガー市場でのシェアは61.8%から64.6%にアップしました。

また、この低価格戦略により、中心顧客を中学生・高校生という巨大な低価格購買層にシフトさせる結果となりました。

 売上やシェアが上がったことは良いことだったのですが、一方で「中高生で混雑度が増した結果、注文に長い列を作って待たなければならなくなった」「席さがしが大変」「若者パワーで騒がしくて落着けない」などのデメリットも発生し、ある程度高い商品でも買えるようなOLやビジネスマンのお客様がマクドナルドから離れていってしまうというデメリットも生じさせてしまいました。

このように低価格戦略を取ったことにより主力顧客層の入れ替わりが起こり、入れ替わりが起こった後は低価格の商品しか受け入れない顧客がメインとなるということがあるようです。その結果として顧客単価が低下し、収益が悪化するという現象が引き起こされます。価格以外の原因で一度離れた顧客はそう簡単には帰ってきてくれず、ただ、低価格ゆえに来店する顧客は低価格によってのみ戻ってくる、ということのようです。

 売れなければ商品を安くして販売するということもあるのでしょうが、十分に「その価格で販売していいのか」は検討した方が良いように感じます。コモディティ化の進んでいる現在では値引きを行って他社との競争に打ち勝つように対応することは、結果として将来的に自社をじり貧に陥らせてしまうということも意識しておくことが必要なようです。

 (参考文献:価格決定戦略)

立地に適応した施策「地域別価格制」に関して

本日は立地に適応した施策「地域別価格制」に関して記載します。

【立地する場所によってマクドナルドで売っている商品は値段が変わる】

2007年6月に日本マクドナルド社は都道府県ごとに商品価格に差をつける「地域別価格制」を導入しました。この時の価格差を例えばビッグマックで見てみます。

『東京・神奈川・京都・大阪では、単品290円、セット(ビッグマック+ポテト、ドリンク)640円』

『埼玉・千葉・愛知・兵庫・広島では、単品290円、ただしセットでは620円』

『福島・山形・鳥取・島根では、単品が260円、セットが560円』

という価格設定です。

この導入時、ビッグマックセットの価格差は最大80円です。導入1か月経ってからの状況を日本マクドナルドのCEOは「値上げした地域で安い商品に消費が移るという現象は起きておらず、クレームも少ない」と語っていました。ほぼ問題なしということです。

このマクドナルドの動きに追随するように、その後、カレーチェーンの「壱番屋」でも採用され、2007年秋には「ローソン」や「吉野家」でも地域別価格制の導入が検討されることとなります。

(マクドナルドの地域別価格制は2012年にはビッグマックセットの価格差は40円まで縮小。また、2013年9月13日からは“立地”をベースとした新しい価格設定を導入しています。)

【地域別価格制、その導入の理由】

外食チェーンでは家賃と人件費(アルバイト経費)が経営コスト(固定費)の大きな部分を占めていることから、各店舗でコストに差が生じます。都心の方が家賃も人件費も高いので、これは避けられない話です。ですので、地域別価格制を導入する前は、全国一律の販売価格であるため、各店舗で利益率にバラツキが生じていました。この点について、当時のマクドナルの本部としては、店舗間で利益差はあるけれど、店舗全体で利益を平均化すれば良いという考え方でした。

ところが、1990年代の消費不況後、マクドナルドは全店舗一律に大幅な値下げをしたために、利益率が低下してしまいます。それに合わせて大都市部で家賃や人件費の上昇がみられ、店舗のコスト差が大きくなっていきました。その結果、一律価格での販売が企業収益を圧迫するようになり、企業の持続的な成長を目的として、地域別価格制が導入されるに至ったのです。

外食チェーンや小売店の場合、いったん店舗を立地してしまうと、その後、店舗を移転するのに大きなコストがかかってしまいます。ですので、その立地場所の状況に応じて変化していくことも求められます。地域別価格制はその“立地に適応する”一つの例です。

同じ日本で同じ商品なのに価格が違うというのは一見不思議ですが、土地の価格などを考えれば普通のことで、発想の転換といったところなのでしょうか。

(参考文献 立地ウォーズ)

マクドナルドの日本オープンに関して

本日はマクドナルド、日本オープン時の話について記載します。

【1971年 銀座三越にマクドナルド1号店オープン】

日本で最初にマクドナルドのフランチャイズを運営した藤田田はもともと輸入業を営んでいました。輸入していた内容は女性用のアクセサリー等でしたが、輸入業を営む中で、藤田はマクドナルド社が国際化に関心を持っていることを知ります。当時、マクドナルド社の基本的な方針は、個人に限り1店舗のみフランチャイズ権を認めるものでしたが、藤田はマクドナルド社に対して“日本で複数のフランチャイズ店を出店すること”と“店舗運営において自由裁量権を認めること”を説得します。

また、マクドナルド社のアナリストがアメリカでの成功例を挙げ、日本でも郊外に出店することをすすめていましたが、藤田はそのアドバイスには従わず、銀座三越にオープンすることにします。銀座三越は藤田が取り扱っていた女性用のアクセサリーを購入していた顧客であったことから、そのコネが利用できたのです。

銀座三越での店舗スペースは通常のマクドナルドの1/5でしたが、藤田はキッチンをコンパクトに設定し、座席の代わりにカウンターを用意しました。その様な店舗スペースになった理由は、三越が顧客に不便さを感じさせるような、店の改装を望まなかったためです。

三越の定休日は月曜日なので、藤田は日曜日の午後6時から火曜日の午前9時までという、39時間の間に店舗の改装をしなければなりませんでした(通常のマクドナルドの店舗の建築には3ヶ月かかる)。このミッションをクリアするために、藤田は東京郊外にある倉庫で、作業員たちに39時間以内で店舗を組み立てられることができるようにするため、練習をさせます。これにより短時間での店舗建設に成功。そして、銀座三越のマクドナルド1号店の売上も上々で、開店から1ヶ月で4000万円の売上を上げ、開店時の開店費用の3000万円を回収することができました。

藤田は第1号店をオープンした3日後、新宿に次の店をオープン。更にその翌日に第3号店をオープン。全ての店舗が大成功を収め、18か月後には日本全国に19店舗のマクドナルドを持つこととなります。

【マクドナルド 多様な国にランダムに拡張するフランチャイズ】

当時、マクドナルド社は日本への店舗展開には興味がなかったと言います。藤田田がマクドナルド社を説得したことで、日本への参入が決定したのです。

マクドナルドはフランチャイズを採用しているわけですが、そもそも、フランチャイズとは“ある企業名の下でビジネスを遂行する権利”のことを言います。そしてフランチャイズには「ダイレクト」と「マスター」2つの類型があり、ダイレクト・フランチャイズは個別店舗のオーナーに与えられるもので、マスター・フランチャイズは、フランチャイズ権が与えられた個人が特定の地域や国で一括して店舗展開が行える権利を持つという制度となります。藤田田は後者の方となるわけです。

マスター・フランチャイザーにとっては、どの国に参入するのが最善であるのかを見分けるよりも、藤田田のような、フランチャイズのネットワークを拡大できる人物を識別することの方が重要となります。ですので、マスター・フランチャイザーでの拡張パターンは、文化的に近い国から順次参入していくというものではなく、多様な国へランダムに拡張していくパターンとなるのです。

【消費者に受け入れてもらうための日本流アレンジとマクドナルド参入による消費スタイルの変化】

藤田田はファストフードというコンセプトを最も受け入れやすい層は若者だと確信し、広告の焦点を子どもと若い家族に向けて絞り込みました。藤田は「日本の年配世代の食習慣はとても保守的である。しかし、子ども達には、ハンバーガーは美味しいものだと学習させることができると思った」と語っています。

また、藤田は日本マクドナルドの成功に向け、マーケティング戦略に自分なりの修正を加えました。例えば、「McDonald」という名前が日本人には発音しにくいと考えて「マクドナルド」に変え、シンボルの「Ronald McDonald」も「ドナルド・マクドナルド」とアレンジしました。このように、日本の消費者が適応するように、マクドナルド社のものをそのまま使用するのではなく、修正を加えたのです。

マクドナルドの日本参入は日本人の消費スタイルを変えていくことともなりました。従来までは弁当を購入していた日本の若者が、ファストフードを選ぶようになっていったのです。

海外から企業が市場へ参入してきた際、その国の消費スタイルに合わずに撤退していくこともあれば、その国の消費スタイルが変化していくことがあります。マクドナルドは後者だということが言えます。

マクドナルド1号店が銀座三越ということを知らなかったので、「百貨店にファストフード」という、そのギャップには驚きました。

(参考文献 変わる世界の小売業)