日本のSCの歴史

本日は日本のSC(ショッピングセンター)の歴史に関連して記載します。

 SCの歴史は1920年代のアメリカで始まりました。フォードなどの自動車会社が自動車の大衆化を実現させ、ハイウェイ網が整備され、「郊外に暮らしてクルマで買い物に出かける」というライフスタイルが浸透。それに伴いSCが全米各地に広がっていきます。

 日本のSCの幕開けは1960年代。高度経済成長に伴い自家用車が普及したことにより、ターミナル駅にある百貨店や地元商店街で買い物するというという選択肢に加え、郊外型SCに買い物に行くという選択肢が加わりました。日本の本格的な郊外型SCは1969年に東京の二子玉川駅にオープンした「玉川髙島屋ショッピングセンター」となります。当時の二子玉川駅周辺はところどころに畑の点在するのどかな住宅地でしたが、田園調布や成城学園など有名な住宅地が近くにあり商圏としても有望でしたし、鉄道や幹線道路・高速道路のインターチェンジのある交通の要でもありました。100を超える専門店が集結したSCであり、その誕生は当時かなり話題になったようです。

アメリカは移民と開拓の国なので、地元で昔から発展してきたような商店街がなく、同じものを効率的に大量に作り、各地に大量に供給することが求められていました。SCに関してもそういった前提を受けて作られてきた経緯があります。それに対して日本では、地域ごとに商店街が発展していて、独自の消費文化が根付いていました。アメリカと違って買い物に行くためにクルマに乗ってまとめ買いをしなくても、地元の商店街でちょくちょく買い物ができる環境にあったのです。そのため消費者が求めるものも「鮮度」や「地域の嗜好にあった品揃え」だったといいます。そのことから、日本のSCは当初、上記の要望を受ける形で、都市部を中心にGMS(総合スーパー)を核として、様々な小売り業態を組み合わせる日本独自の形態で発展してきたと言います。

また、法律の動きを受けて日本のSCは規制と緩和を受けながら発展してきています。1974年に施行された大規模小売店舗法(大店法)でSC開発は規模や営業時間・営業日数などの面から制約を受けましたが、その後2000年に「まちづくり三法」の一部として大規模小売店舗立地法(大店立地法)が施行され、出店規模に関してはほとんど審査を受けないようになりました。それを受けて、より大規模で複合的なSC(リージョナルショッピングセンター(RSC))が開発されていきます。その後、2006年に「中心市街地活性化法」「都市計画法・建築基準法」の改正があり、延べ床面積が1万平方メートルを超す大規模集客施設の出店は、商業・近隣商業・準工業の三地域を除き、原則出店できなくなります。

アメリカを模倣して作られたSCは日本の環境や法律の内容を受け独自の発展を遂げてきました。店舗出店に関して都心回帰が見られる中、郊外型SCがどのような存在として今後戦っていくのか興味深いものがあります。

 (参考文献 成功するSCを考えるひとたち)

高額消費増の裏側にある消費志向の変化

本日はアベノミクスによる高額消費増の裏側にある消費志向の変化に関して記載します。

アベノミクスの影響による資産効果により2012年末から百貨店業界では、絵画や宝飾品、高級時計など高級品の売上の回復が始まり、2013年上期には全国の百貨店の売上高が2.3%増加したといいます。百貨店業界全体の売上高として、全盛期の9兆円台から6兆円台まで減少していたので、このことは明るい話題となります。実際に日本百貨店協会の「美術・宝飾・貴金属」の売上データを見てみると1月~9月の前年同月比が+5%~+23%の割合で増えており、高額品の動きが良いことが分かります。

 土地や株の価値が上がったことを契機に価格の高い贅沢品をぱっと買おうという動きが、一見1980年代末のバブル期の消費に似ているようにも見えます。確かにそのような消費志向も見受けられるところがあるようですが、一方で贅沢な高額品の購入というわけではなく“高額で堅実”というような消費スタイルが出てきているようです。

バブル期には「ワンランク上」や「最上級」をうたったモノやサービスが注目され、消費の現場では高い品物が売れました。その後、バブルが崩壊すると一転し消費者は「低価格志向」へ。2000年ごろからユニクロに見られるような「費用対効果」を重視するような動きとなりました。そしてアベノミクスによる景気回復の動きが見られる今、生活者が高額消費をする際の傾向として、「3コウ」志向という消費傾向が表れているそうです。この3コウ志向とは次のような意味合いとなります。素材や作りがしっかりした「高額品」。デザインや雰囲気が好みに合う「好感」。自分にとってどう役に立つのかが明快な「効果」。これら「高・好・効」という3つのコウを備えたモノになら多少の支出増もOKだという消費傾向です。例えば高くてもお掃除ロボットのような日常の生活に役に立つ商品が支持されるようなことです。

 欧米で10年ほど前から「BOBOS族」と言われる消費を行う層が出てきているそうです。ブルジョア・ボヘミアンの頭文字を結び付けた造語で、経済的に豊かなボヘミアン(自由人)となります。これらの人々は見栄を張るような高額品の購入を避ける一方、いいモノにはお金を使います。例えば燃費の悪い大型の車より環境に優しい燃費のいい車を買うといったものです。今出てきている消費スタイルはこのBOBOS族に近いものとなります。

 今の日本の消費傾向として安いモノでいいから買うという人の割合が減ってきていて、自分で納得できるモノを買うという人が増えてきています。長いデフレを経て日本人の消費傾向は確実に変わってきているようです。アベノミクスの資産効果で高額品が売れているというように一括りにせず、その内訳を注視する必要がありそうです。

 (参考文献 日経MJトレンド情報源2014)

札幌の百貨店競争とニッチ戦略

本日は札幌の百貨店競争と「ニッチ」戦略に関して記載します。

2013年10月22日に丸井今井の「大通別館」が来年秋に閉館されるという報道がありました。大通別館は本店大通館と道路を挟んでいるため、賃貸契約が満了するのに合わせて閉館するようです。

そもそも、札幌エリアは2003年の大丸札幌店の出店後、百貨店同士の競合が激しくなっているように見受けられます。大丸札幌店出店前、札幌市内には“地域一番店の丸井今井本店”“三越札幌店”“東急札幌店”“札幌西武”“ロビンソン”“丸ヨ池内”と百貨店は6つありました。そして2003年3月6日に大丸札幌店が、丸井今井本店を上回る地域最大の店舗規模でJR札幌駅に駅ビル型の百貨店としてオープン。この大丸の札幌地区進出が呼び水となって札幌地区の百貨店の生き残りをかけた競合が始まります。丸井今井や三越の別館増築により、札幌地区の百貨店の売場面積は2003年に従来の1.35倍へ。これは名古屋エリアに髙島屋、京都エリアに伊勢丹が駅ビル型の百貨店として開店した時を上回る競争の激しさでした。この厳しい競争状態の中、札幌西武、ロビンソンが閉店することとなります。一方、大丸札幌店は開店以来、好調に売上を推移させ、2009年には丸井今井を抜き、地域一番店へ。大丸札幌店の売上シェアは2004年19.3%から2009年に30.2%と10.8%も上昇。まさしく圧勝という状況です。

 大丸の進出に対して各店で対策をとったわけですが、三越札幌店と札幌西武はターゲットの絞り込みを行います。

 三越札幌店では、2002年9月に40代の「次世代アダルト」への対応強化のために、子ども・家庭用品の売場を大幅に縮小し、婦人服を拡大するという戦略を採りました。45の新規ブランドを投入し、婦人服ゾーンを1層増やし1~6階の6層と拡大。自主運営の平場を設けて、店の独自性や収益性の向上を図りました。

 札幌西武は店舗特性を明確にするため、20~30代のキャリア女性をターゲットにした店づくりにシフト。従来強かった食料品売場を廃止。キャリアファッション、トール&ラージの婦人服、女性客との連動を重視したブランド紳士服を強化しました。

このように三越札幌店と札幌西武はニッチ戦略として対象顧客を絞り込みましたが、どちらも業績が上がらず、札幌西武は市場からの撤退を余儀なくされています。まず、三越札幌店に関しては40代以上のミセス層にシフトするという戦略をとりましたが、これは地域一番店にとってもメインの顧客層であり、自らの市場を築き上げるはずが正面切って強者と戦う状況になってしまったという結果になります。そして札幌西武に関しては、キャリア女性にターゲットをシフトするほど、競争相手が百貨店ではなく、「パルコ」などのファッションビルや駅ビル専門店などとなり、結果として厳しい状況に置かれることとなりました。ニッチ戦略として自らの戦う市場を絞り込む際には競合環境も十分に鑑みてから行う必要があるということです。

 (参考文献 全国百貨店の店舗戦略2011)

阪神淡路大震災後のそごうVS大丸

本日は神戸における阪神・淡路大震災後のそごうVS大丸の戦いに関して記載します。

1995年1月に阪神・淡路大震災がありました。記憶では何年後かに神戸に行ったときに、電車の車窓から復興していない住宅街が目に入り、被害の大きさを感じていたことを思い出します。この震災による影響は大きかったと思いますが、百貨店の趨勢にも大きな影響を与えていたようです。

 阪神・淡路大震災の影響により、神戸の地域一番店を競い合う、そごう神戸店と大丸神戸店、双方ともに店舗建物に大きな被害を受けました。

そごう神戸は、震災前は年商1000億円クラスで地域一番店。当時のそごうの基幹店でした。そのため、当時経営不振のそごうからすると、神戸店を早急に復興する必要性がありました。そこで、倒壊した三宮駅前側の店舗としてメインのゾーンをへこまし、正方形ではなく「コの字型」の店舗形状で、1996年4月に全館復興開店をしました(売場面積:震災前の約85%の41,000平方メートル)。しかしながら、店舗面積が「コの字型」に大きく変形したことで、売場フロアでの平場が取りづらくなり、それまでのそごう神戸店の強みであった品揃えのボリューム感が出せなくなりました。また、形がコの字型ですから、当然、売場の見通しも悪く、顧客の回遊性も悪化しました。震災によって失われた売上・利益を早期に取り返すため、体裁にこだわらず復興開店を急いだという形でしょうか。

 大丸神戸店に関しては、震災前、売上高が大阪・心斎橋店、京都店に次ぐ社内第3位の店舗でした。震災後、1995年4月に震災前の約1/3の売上規模で営業を行っていましたが、復興開店をしたのは、そごう神戸店に遅れること1年の1997年4月。200億円を投じ、三宮側の被災部分を取り壊し新規に建て替える工事を行い、店舗面積も震災前とほぼ同じ49,000平方メートルでの復興開店となりました。これにより、店舗面積がそごう神戸店よりも大きなものとなりました。大丸神戸店はこの建て替えをするのを機に、上質顧客を戦略ターゲットにし、建物環境デザインを「クラシック&モダン」をテーマにしたものとしました。また、MD面においては「新・山の手感覚の正統派」とし、ファッション分野を拡大したり、各階に「シーズンメッセ」という季節商品を集積する売場を設けたりしました。

そごうは経営破綻後、西武百貨店主導で経営再建されることになりましたが、着々と売上を伸ばしていた大丸神戸店から大きく水をあけられる結果となり、近年の推移においても、大丸神戸店に対するそごう神戸店の売上比率は、2008年45.7%、2009年47.1%、2010年48.5%と依然として低調な状況にあります。

かつて地域一番店であったそごう神戸店は震災をきっかけとしてその地位を奪われることになりました。このことから、短期的な売上・利益を求めるあまり、長期的な視点で店づくりの戦略を描けないと戦況を不利にするということが言えると思います。

 (参考文献 全国百貨店の店舗戦略2011)

東武百貨店池袋本店の店内ミニツアーから見る百貨店の接客の変化

本日は東武百貨店池袋本店の店内ミニツアーから見る百貨店の接客の変化に関して記載します。

 近年、小売業において接客の変化が見られると言います。セルフ販売をメインとする業態ではVMDを充実させたり、デジタルサイネージなどの情報通信技術を活用して、合理化を図り人頭効率を良くするような動きが見られる一方で、接客販売業態では商品の探索段階にコンシェルジュを配置したり、商品の比較・選択段階に専門人材によるコンサルティング拠点を設けたりして、個々の顧客に対応するような動きが見られると言います。確かに食品スーパーのいなげやがデジタルサイネージを積極的に取り入れたり、ユニクロがVMDの徹底を図っていたりということが見られる一方で、百貨店においてはコンシェルジュを配置し手厚い接客で中高年層を囲い込もうとしている動きもあると言います。

 東武百貨店池袋本店においては店内ミニツアーを開催しています。この企画は2010年6月17日から始めているそうですが、好評を博しているといいます。この企画の内容としては、東武百貨店側が毎回テーマを決め、そのテーマに沿って関連の売場を複数選び、参加する顧客(毎回10名程度)を案内し、それぞれの売場でバイヤーや専門販売員が商品の品質・機能の特徴・こだわりや開発の背景・仕組みなどを詳しく説明していきます。所要時間は約2時間。参加費は無料。商品試験室で施設の概要説明や電子顕微鏡による検査なども見ることができたりすることもあるようです。ツアー中は商品の売り込みは一切せずに説明のみとなります。東武百貨店池袋本店はかなり広いので(売場面積、約83,000平方メートル)、その点を強みとしてツアーに活かしているのかもしれません。この企画は、従来からある百貨店の丁寧な接客ということのみならず、“顧客に様々な商品・ブランドを発見できる、楽しさ・知識欲を満たす”というサービスを提供していると言えます。

 接客というと、かつてはモノの販売に付随する、顧客に対する丁寧さであったりおもてなしの精神であったりということが取り上げられることがメインでした。確かにこの部分は今でも重要な部分です。しかし現在のようにモノで満たされている時代においては、企業が接客を通じて顧客にいかに価値を提供していけるか、という部分も大切になってきているようです。

 (参考文献 全国百貨店の店舗戦略2011)

ファミリーマート 海外進出の際の現地パートナーとの協力

本日は「ファミリーマート:海外進出の際の現地パートナーとの協力」に関して記載します。

ファミリーマートは日本のコンビニとして最も早く海外進出を果たした企業です。そして、アジアを中心とした海外市場に、日本で進化したコンビニという業態を輸出することで、今では国内より海外の店舗数の方が多くなっています。そして海外進出の際には日本のファミリーマートのノウハウを上から押し付けるようなことせず「コンビニ事業は地元に根ざしたローカルビジネスだ」という考え方の下、現地パートナーと合弁会社を設立するスタイルを基本としています。進出先の商品の品揃えや陳列方法、店舗づくり、接客などは、現地での経験の積み重ねが必要となります。また、進出先のエリアで求められる商品も日本とは異なります。そういった考えから、上記のような海外進出戦略を採っているようです。

そもそもコンビニは他の小売業と異なり特有の仕組みを持つ面があります。コンビニはロットが大きい商品をそのまま店舗に納品するのではなく、ベンダー(問屋)から納品された商品を一旦配送センターに納品し、それを小分けにしてから店舗に納品しています。それにより各店舗に適切な商品量が納品されると同時に過剰在庫も抑制される仕組みとなっています。また、弁当や惣菜を製造し提供する中食ベンダーの存在がありますし、POSシステム等のITシステムの整備も不可欠です。品質管理もしっかりと行っており、例えば温度管理においては基本的な商品の温度帯を4つに分けて管理しています(20℃:米飯類 5℃:チルド商品(牛乳など) 冷凍:アイスクリームなど 常温:カップラーメンなど)。こうした仕組みが存在し、機能して初めて、新鮮でおいしい商品が店頭に並ぶコンビニになります。

 新興国には日本の中食ベンダーに該当するところが少ないので、現地で食品工場を持っている企業と日本の中食ベンダーの協力を得て、惣菜を製造するラインを作っています。このように、現地の実情に合わせた仕組みを産み出して対応を行っています。海外でコンビニを展開する場合には、コンビニの基本的な形は同じでも、現地に適した仕組みを作り上げなければなりません。ファミリーマートは現地パートナーとともにノウハウを持ち寄って、最適な仕組みを作り上げることによって成功につなげているのです。郷に入っては郷に従えということでしょうか。風土・文化が異なる場所での成功はそのエリアとの連携が必要ということのようです。

 (参考文献 成功事例に学ぶマーケティング戦略の教科書)

都市型百貨店化した地方百貨店

本日は都市型百貨店化した地方百貨店に関して記載します。

1990年中盤からの大店舗法の規制緩和を受け、2000年代には次々に量販店系の大型SCが開業しました。この動きの中で地方百貨店においては郊外型の大型SCとの競合が起こり、経営環境の厳しさが増しました。また地方百貨店が抱える課題として、“店舗規模が限られてしまう”“海外ブランドなどの有名ブランドが地方には入りにくいといった商品の仕入れ面で不利”といったものがあります。本来であれば店舗面積や潜在的な顧客数が少ない地方百貨店はそのあり方を特化し強みを強化すべきなのでしょうが、それができず、また例え特化したとしても人口が少ないため来店客数を伸ばせないだろうという恐れがあります。そのため、ファミリー層もミセス層も富裕層も、と総花的な売場展開を続けるという結果になってしまうようです。

そのような中、SCとの競合からの生き残りをかけ、本格的な都市型百貨店を目指す地方百貨店が出てきたようです。その一つが大和富山店。旧店舗からの移転に伴い、約100億円を投資し売場面積を25,300平方メートルと従来店舗の倍に拡張。既存店舗の中心顧客層の利便性を高めるとともに、上質・高級志向の顧客層、先進性・新しい情報を求めるヤング~アダルト層への対応を行い、幅広い顧客層に支持される店舗づくりを目指しました。新規ブランドはコーチ、ハンティングワールド、スワロフスキー、アンリシャルパンティエなどなど、北陸初47ブランド、富山初77ブランドと刷新を行いました。このように大和富山店は店舗面積を拡大し有名ブランドを展開することで都市型百貨店化しました。また、東京・京都・地元の名店を集積した本格的なレストラン街を設ける一方、従来の年配ミセス顧客にもなじみが持てるファミリーレストランを地下に設けるなどしています。ここが大和富山店の戦略の上手なところだと思います。リニューアルを行う時に対象顧客ターゲットを全面的に変えてしまうと、今までの顧客が自店舗から離れてしまい、売上が落ちてしまうからです。

 都会的で洗練されたブランドファッションや質や機能を備えた本物商品が常備で展開し、喫茶・レストランを併設する都市型百貨店化した地方百貨店。メリットとしては、従来の地域の百貨店や量販スーパーとの差別化が図れることです。逆にデメリットとしては経営的に運営コストがかかるため、売上が取れない場合は利益を創出しにくい体質になるということです。

 SCという競合の登場により動き出した、生き残りをかけた地方百貨店の戦略は興味深いものがあります。

 (参考文献 全国百貨店の店舗戦略2011)

出店エリアのイノベーション〈コメリ〉

本日は出店エリアのイノベーションにより成功している「コメリ」に関して記載します。

 企業がイノベーションを起こせない理由の一つに小規模な市場よりも大規模な市場を狙ってしまう傾向があるということが挙げられます。将来的には大市場になる可能性があったとしても、当初の市場は小さいので、大企業はそこに参入することを避けます。市場が小さいと自社の成長率が維持しにくくなるからです。そのため、大企業になればなるほど、初めから大市場を狙ってしまい、小さな市場を育てていこうという意欲が失われてしまう傾向があります。

 小売業においては人口密度が高く、商圏が大きいエリアに出店するというのがセオリーです。お客様がいなければ売上が小さくなるからです。また、土地や家賃の高い都市部を避け、クルマの使用しやすい郊外の広大な土地にショッピングセンターを作るということもよくなされます。規模を広げ商圏を広げ、クルマを利用する人を多く集客することによって売上を上げるのです。このように一般的に小売業は出店するにあたって、商圏人口を増やして自店舗の見込み客を増やす戦略を採るもので、あえて小さな商圏に出店するということはそれほどないと思われます。

しかしながら、ホームセンターのコメリは一般の小売業が行う逆を行うことで成功を治めています。コメリは農業資材カテゴリーを取り揃えたホームセンターで、「農業を営む人たち」を顧客に設定しています。出店方法はコンビニなどがよく行っているドミナント戦略を採っているのですが、他の小売業と違うところは、店舗面積が約300坪と小型でDIYと園芸用品に絞り込んだ専門店を、競合他社が目を向けず、商圏としてあまり魅力のない、地域人口が1万人程度の農村エリアに重点的に出店しているということです。この出店方法の理由の一つは競合他社との競争を避けるということ。そして二つ目は高齢者が多い農家の人を対象にしているので、顧客が自宅近くにある同店舗でほしいものを歩き回ることなく入手できる利便性があるということです。

 主要顧客である農家の人たちへの対応は、商品の品揃えや出店方法のみならず、支払方法に毎年1回顧客が指定した月に一括払いできる「収穫期払い」なるものもあるそうで、いろいろと手厚くなっているそうです。

 普通に考えれば人が多いところでないと商売ができないと考えてしまうのですが、コメリは農家という切り口で市場を絞り込み、農家を営む人に対応した品揃えや出店方法を採ることで、成長をしています。先入観を見直し、イノベーションを起こすことは、成長を続けるために必要なようです。

 (参考文献 成功事例に学ぶマーケティング戦略の教科書)

出店エリアのセグメント化

本日は出店エリアのセグメント(ドミナント化)を行っているオオゼキに関して記載します。

 過去にオオゼキに行ったことがあり、その際は一見、普通の食品スーパーマーケットに見えました。しかしながら、実はこの企業はすごいようです。今まで出店した35店舗中、過去に1店も閉店したことがなく、経常利益率に関しても同業他社と比較して7~8%(2~3倍も)あるそうです。

オオゼキは商圏として比較的高額所得者が多い東急線や小田急線の沿線のエリアに出店。ビジネス展開をする際に最適な「エリア」と「そこに暮らす住民」の両者に焦点を合わせて、市場を細分化し、ドミナント出店。独自のマーケティングを展開しています。セブン-イレブンが当初その出店エリアを東京都江東区に絞って成功したように、オオゼキは高額所得者の多い世田谷エリアにドミナント出店することにより成果を収めているようです。また、出店の際には初期投資額も居抜き物件をそのまま借り入れるようにして最小限に抑えるようにしているそうです。

 食品スーパーマーケットは、人件費や家賃などの固定費が毎月出費されています。それを踏まえ人件費を抑えるためにパートタイマーの比率を高めることが不可欠だという専門家がいるそうです。固定費を減らすことにより不景気を乗り切る体力をつけ苦しい経営環境を乗り切ろうという施策なのでしょう。しかしながら、オオゼキは正社員の比率が7割程度とその採用者数を増やしていると言います。パート社員に必要とされる採用や教育、配置などに関わるコストを考えると、正社員の方が割安と同社は考えているようです。事実、こうした人材面での投資が功を奏し、一般的な食品スーパーマーケットの廃棄ロス率が3~4%とされる中で、同社は正社員の細かい対応により何と0.1%以下と言われています。

 地域を細分化しドミナント出店を行うことは、そのエリアに住む人々に企業名を認識してもらう上で非常に重要ですし、商品の運送にかかるコストも削減することができます。リアル店舗を出店する際は、商圏内の人口・導線、生活者の所得水準と言った内容から、どこに出店するかによって、出店後の売上に影響することから、慎重を要します。出店した後の戦略を含めて、新規出店する際にはどこに出店するかは非常に重要なのです。また、オオゼキの例から同業他社が行っているから自分たちも追随するという姿勢ではなく、独自に正しいと思う戦略を採ることにより、より多くの利益を得ることができるということもあることは押さえておく必要がありそうです。

 (参考文献 成功事例に学ぶマーケティング戦略の教科書)

VMDの陳列・展示

本日はVMD(ビジュアル・マーチャンダイジング)の陳列・展示に関して記載します。

 VMDは視覚的な工夫を凝らすことにより販売を支援していく方法で、その工夫をすることにより、“お客様に店舗内を長く回遊してもらう”“商品に興味を持ってもらう”ようにしていくことです。今、目的買いではなく、ついで買いをするお客様が増えていますが、店舗側からしてみれば、少しでもお客様に長い時間、店舗を回遊していただき、多くの商品を見ていただくことが売上の嵩上げに繋がりますので、その点からVMDは有効な手段の一つと言えます。

まず、展示の基本として、商品や装飾品を組み合わせて「三角形」にします。三角形の形は、等辺三角形でも不等辺三角形でも逆三角形でも問題はありません。三角形をつくると安定感が増して見栄えが良くなります。また、一つの塊として展示しますので、お客様からも「そこに商品がある」とわかりやすいです。また、この三角形の塊を等間隔に並べるとお客様からの視認性が高まります。三角形の塊の並べ方は素材違いや色違い、他には左から小さい順に並べていくという方法があります。

 次に陳列方法に関してですが、お客様の滞在時間を延ばす方法として「連鎖陳列」という方法があります。商品を陳列する際に不規則にばらばらに商品を置いてしまうと、お客様はどこに何があるのかわからず、その場を離れてしまいます。そこでカテゴリごとに分類された商品群に関連性を持たせて、“左から小→大の繰り返しで陳列する(お客様の視線は左から右へと移動するため)”“平台(カウンター)の上に商品を1つずつ等間隔で並べる”“サイズの小さいモノから大きいモノ、大きいモノから小さいモノという順番で波のような形を作るように繰り返し商品を並べる”“商品カテゴリごとに横、縦、斜めに並べる(一般的に横方向に陳列するが、縦、斜めと変化をつけることで、商品がお客様の目に留まりやすくなる)”というように、商品を連鎖させて陳列を行うと、お客様の視線は次、次と移動していき、結果的に回遊性が高まっていくこととなります。

 VMDは店舗側からすれば客単価向上につなげていくための手段ですが、買い物に行ったときに店舗をVMDの視点で見るのも面白いです。

 (参考文献 繁盛店が必ずやっている商品陳列最強のルール)