ジョンソン・エンド・ジョンソンCEOバークの危機管理

本日はジョンソン・エンド・ジョンソンCEOバークの危機管理に関して記載します。

【鎮痛剤に青酸カリ】

1982年9月30日、薬局で市販されていたジョンソン・エンド・ジョンソンの鎮痛剤「エクストラ・ストレングス・タイレノール」のカプセルに、何者かが致死量の青酸カリを混入。結果、シカゴに住む7名が死亡しました。これは、毒物が混入した錠剤の製品ロットがどれもバラバラで、犠牲者がシカゴ周辺に集中しているということから、製造過程に問題があったのではなく、誰かがタイレノールのボトルに異物を混入して、店の棚に置いたのだということが判明したのです。当時、タイレノールはジョンソン・エンド・ジョンソンの大人気商品であり、市場シェアの35%を占める、全米No.1の売上を誇る鎮痛剤でした。それだけに、この事件は同社にとって衝撃が大きかったと想定されます。

【CEOジェームズ・E・バークの決断】

(1)小売史上最大のリコール

この事件を受け、ジョンソン・エンド・ジョンソンのCEO、ジェームズ・E・バークは、その翌日に全国規模のリコールの検討を始めます。これに対して一部の幹部が反対しただけのみならず、FBIの職員たちまでもパニックを誘発することを恐れ、リコールに反対したそうです。しかしながら、その後、この事件の模倣犯が現れたことにより(カリフォルニア州でタイレノールのカプセルにストリキニーネ(毒薬)が混入された)、反対の声は消えていきます。そして、ジョンソン・エンド・ジョンソンは3100万本のタイレノールの「エクストラ・ストレングス」を全国の販売店から回収することを発表。小売史上最大のリコールが行われたのです。

(2)新パッケージの開発

また、バークは不正開封防止のパッケージの設計を命じます。それにより、三層密閉方式のパッケージが生まれました(キャップの内部にアルミホイルを挟み、キャップの上からシュリンク・スリーブをつけて密閉し、さらに糊付けされた外装箱の中に入れる方式)。この時開発されたパッケージは、今日においても多くのアメリカの内科医や薬剤師から支持を集めているそうです。

(3)巻き返し作戦

11月、ジョンソン・エンド・ジョンソンはパッケージを一新したタイレノールの復活キャンペーンを立ち上げます。併せて、消費者が捨てたタイレノールを無償交換することを発表し、「タイレノール」シリーズのどの商品でも買える、2.5ドル相当の4000万枚のクーポンも発行。更にバークは、当時としては珍しかった衛星中継によるビデオ記者会見を開き、全米30都市の記者からの質問に答えました。このキャンペーンが奏功し、事件後7%程度まで落ち込んでいた市場シェアは、事件後1年で30%まで回復したのです。

【バークのクレド(信条)】

バークは会社のクレド(信条)、“リーダーはジョンソン・エンド・ジョンソンの製品とサービスを利用する人々に対する責任を第一に考えなければならない”ということを信じ、実践したのです。この時のバークの対応「危機に際しては、まず自分の知っていることを全て速やかに洗い出し、顧客を守るためにあらゆる手段をこうじるべし」という対応は、危機管理の手本となっています。

様々な場面で危機管理案件がニュースで話題になりますが、その解決に向けた舵取りは、様々な既得権益と絡み合い、道筋のつけ方が非常に難しいのだろうと思います。しかしながら一方で、バークの危機管理もいろいろなところで根付いているようにも感じます。何につけても消費者を優先し対応するということは忘れてはならないということでしょう。

(参考文献 ありえない決断)

ウォルマート 土曜日早朝ミーティング

本日はウォルマートの土曜日早朝ミーティングに関して記載します。

【土曜日早朝ミーティング、スタート】

1962年、アーカンソー州ベンドンビル郊外の小さな小売店であったウォルマートの創業者サム・ウォルトンは、土曜日の早朝に従業員を店の事務所に集め、直近一週間の販売実績を見直させるようにしました。これをきっかけにウォルマートの運命が変わっていったと言います。

週末に作り上げる売上は大きなものであることから、サム・ウォルトンは毎週土曜日の早朝に店の事務所で、何が売れているのか、売れていないのか、前週と比べて今週の売上はどうなのか、ということを知るために、直近一週間の数字を見直していました。

そして、サム・ウォルトンは開店の表示を掲げる前にミーティングを開き、従業員全員に自分の調査結果を伝え、従業員の意見を求め、そしてどの品を特売に出すか、陳列でさらに目立たせるべき商品は何かを決めていきました。

【土曜日早朝ミーティングがもたらした成果】

土曜日早朝ミーティングでの大きな成果は、事業についての情報を全社員と共有できるということであり、そしてそれにより、従業員も店主意識を持つようになったということです。加えて、競合他社よりもスピーディーな対応ができたことです。

1970年代、安売り業界の最先端を行く企業はKマートで、ウォルマートの規模はKマートと比べるとその数分の一の規模でした。この中でウォルトンが競合できると考えたものがスピード面でした。当時、Kマートやシアーズといった競合店は地域オフィス方式をとっていましたが、ウォルマートはベントンビル本社の人間が各店舗を見て回るようにしていました。彼らは月曜から木曜までいろいろな店を回り、金曜の早朝に本社でマーチャンダイジングのミーティングを開きました。そして、土曜日の早朝に各店舗で販売ミーティングを開く際には、各店舗を回って集められた情報を基に、何を修正すればいいのか決めていきます。そして土曜の昼前には地域マネジャーが全地区マネジャーに連絡して、“何をするか”“何を変えるか”の指示を出します。これにより、競合他社では月曜日に前の週の売上を検討していたので、ウォルマートは他社よりも一歩リードした対応が行えたのです。

【現在の土曜日早朝ミーティング】

現在では、細かい問題については平日に行われる無数の会議で扱われ、土曜日早朝ミーティングは月一回のペースになっています。しかしながら、このミーティングは今でもウォルマートが市場の動向を把握するための機会であり、本社と各店舗の一体感を醸成するのに役立っていると言います。

土曜日の早朝にミーティングを行うということを表面的にみると、それほど大きなことのようには感じませんが、結果としてはウォルマートの成長を支える大きな力となったようです。一見、小さく見える行動でも、それが大きな力につながっていくことがあるということを土曜日早朝ミーティングは示していると感じます。

(参考文献 ありえない決断)

スリーエム 15%ルール

本日はスリーエム、創造性と革新性を生み出す“夢想の時間”に関して記載します。

【15%ルール 社員が夢見る時間】

スリーエムはアメリカにある化学・電気素材メーカーで、サンドペーパーやマスキングテープ、ポスト・イットなどを開発してきた企業です。この会社には1948年に決断が下された、「15%ルール」という、有名な企業方針があります。これは社員が勤務時間の15%を自分の好きな研究などに充てても良いというもので、同社の文書で「スリーエムの技術関連従業員には、その配置にかかわりなく、就業時間の15%を上限として、日々の仕事に囚われないプロジェクトに時間を充てることを推奨する」というものがあります。この方針により同社は様々な革新的な商品を生み出しています。その中の一つとして、記録的なヒットとなった“ポスト・イット”があります。これは同社の研究員が聖歌隊で歌の練習をしている時に、聖歌集からしおりが何度も落ちたことが技術開発のヒントとなっています。

【スリーエム 15%ルールへの歴史的背景】

この15%ルールの考え方は、その考え方が評価されるようになる以前から、スリーエムに企業風土として根付いていたようです。スリーエムの創業者たちは自分たちの会社を1902年に創業した際「ミネソタ・マイニング&マニュファクチャリング」と名付けましたが、創業者の中に採掘(マイニング)や製造(マニュファクチャリング)をした人は誰もいなかったと言います。創業者たちは当初、コランダムと言われる硬度の高い鉱石を採掘することを目的としていました。しかし、2年に及ぶ作業と投資の結果、自分たちが採掘したのはコランダムよりもずっとやわらかい斜長岩という鉱石だったと気づきます。そこで彼らは鉱石の販売をあきらめ、砥石車の製造に取り掛かりますが、これもそもそも知識を持っていなかったために失敗。続いてサンドペーパー製造に目標を変えます。この際、サンドペーパーに関しても創業者たちは知識を持っていませんでした。その後、サンドペーパーのサンプルをリチャード・ドリューという社員が地元の車体塗装工に持っていったときに、車を塗装する際に周囲をマスキングするテープの品質の悪さに作業員たちが怒っていることを目にします。それを受けてドリューは、上司からサンドペーパーの仕事に戻るように言われつつも、仕事の合間を縫って新しいテープの開発を続けました。そして1925年にマスキングテープが完成。同社のロングセラー商品となったのです。

スリーエムは創業当初からお金を儲けるための新たな方法を探し続けてきました。それに加えて、社員が上司に逆らって自分が情熱を傾ける製品の開発に打ち込むと、その商品が同社の成功を導くということがあったのです。

【内的なモチベーションの重要性】

近年、創造性と革新性に関する研究が盛んです。その中で『創造性や革新性を引き出すには、外的なモチベーションよりも内的なモチベーションの方が大切である』という発見がなされています。また、自分の仕事が誰かに評価されることを知りながら作業する場合、ただ自分のためだけに仕事をする場合よりも創造性が下がることが、多くの研究から明らかになっていると言います。スリーエムのリーダーたちは、上記のようなことを経験的に体得していたようです。

この15%ルールは現在では他の企業にも取り入れられています。例えばグーグルでは、技術者は勤務時間の20%を個人的なプロジェクトに充ててもよいとしています。

スリーエムの例は“内的なモチベーションをいかに高めていくか”ということが重要なポイントであるという証左のように思われます。

(参考文献 ありえない決断)

ノードストロームのタイヤ伝説

本日はノードストロームの「タイヤ伝説」に絡んで記載します。

【タイヤ伝説】

ノードストロームは全米最大の高級デパートかつ有数の大型チェーンデパートです。タイヤ伝説とは、1970年代にアラスカ州のフェアバンクスのノードストロームで起きた出来事となります。フェアバンクスのノードストロームはタイヤ販売店の居抜き物件でした。ノードストロームが移転してきたばかりのころ、ある顧客が「ここでタイヤを買った者だが」と言って来店したと言います。そして返品をしたいと言ってきたのです。しかしながらノードストロームではタイヤを販売したことなど一度もなかったのです。普通に考えれば返品はお断りをするところでしょうが、この店にいた販売員は、その顧客への返品を受け付けたのです。

そのような出来事は他にもあり、例えば、ある店員は顧客が求めるサイズの在庫品がなかったので、通りの向こうの競合店まで走って行って買ってきたり、顧客が洗濯表示通りに洗濯しなかったために、縮めてしまったシャツを引き取ったり、ということを行っています。日本ではあまり見られない対応だと思います。

【返品自由のノードストローム】

ノードストロームは、顧客がいつ買ったか、レシートの有無にかかわらず、理由を問うこともなく、事実上あらゆる返品を受け付け、払い戻しに応じるという方針を採っています。その決断を下したのは1929年の大恐慌の影響で経営が苦しい状況に置かれている時でした。創業者の息子たちであるエバレット、エルマー、ロイドがその決断を下したのですが、その理由が、何と、いかにも理屈に合わない理由で返品したがる顧客への対応が嫌だったから、と言います。小売業にとって返品はどうしても発生してしまうものです。それならば、一切顧客と争うことをしないと決め、販売員にも絶対に争わないように申し渡したのです。エルマーは「われわれは販売員に『お客様が満足していない場合、当店に来ていただき、望み通りのサービスを提供するように』と伝えたのだ」と語っています。ノードストロームの新入社員たちは、勤務の初日に「規則その一:あらゆる状況において、よき判断を下すこと。以上。付則なし」というルールを教え込まれると言います。

また、ノードストロームでは従業員に自由裁量が与えられています。

このような方針により、権限を与えられた従業員と、従業員が顧客の立場に立って全力で解決策を探すよう導く企業文化が培われているのです。この風土によりタイヤ伝説が一例として生まれ、そして、大恐慌を乗り越え、今のノードストロームの地位が作られているのです。

【行動経済学の観点からも整合性のあった返品方針】

ノードストロームの返品方針は一見合理的でないように見えます。しかしながら、この返品方針には十分な効果があると、多くの調査研究でも明らかになっているようで、このことを証明した研究を発表した行動経済学者たちはノーベル賞を受賞しているといいます。返品の壁を低くすることで、最も明快にもたらせる効果は、人を買う気にさせることができるということだと言います。人間は間違った行動を最小限にとどめたいと考える生き物です。すなわち、返品ができることで、購入によって失敗したという後悔が少なくなり、購買意識を喚起することができるのです。

【結びとして】

ノードストロームのような返品方針は、長年、企業風土として培ってきたもので、簡単にできるものではないと思います。しかしながら、この方針は間違いなく同社の強みとなっています。顧客サービスをいかに高めるかという点でノードストロームの例は非常に面白い例だと思います。

(参考文献 ありえない決断)

ヘンリー・フォードの賃金倍増戦略

本日はヘンリー・フォードの賃金倍増戦略に関して記載します。

【ヘンリー・フォードとは】

ヘンリー・フォードはアメリカの自動車会社フォード・モーターの創設者で、アメリカの多くの中流階級の人々が購入できる初の自動車を開発生産しました。T型フォードは世界で1500万台以上も生産されるヒット商品となり、ヘンリー・フォード自身も世界有数の富豪となり有名になりました。

【ヘンリー・フォードの賃金倍増戦略】

そのヘンリー・フォードは、1914年、従業員の賃金を日給2ドル50セントから5ドルに引き上げるという戦略を採りました。当時、労働者は怠け者だから賃金をできるだけ安くしておくべきという考え方が常識だったので、この戦略は世間を驚かせたと言います。背景としては、T型フォードの人気がうなぎ上りの中、従業員の数はそのままにもかかわらず、生産台数を倍にするという対策を採っていたために、従業員の離職率が異常なペースで上がっていたことです。フォードの労働者たちは1日9時間、週6日間、必要最低限の生活賃金、口汚い管理者という条件に苛立っていました。その中で労働者達は欠勤と離職で不満を表すこととなります。欠勤する従業員は毎日、全体の10%、年間の離職率は370%にも達していたのです。その状況を打開すべく、フォードは賃金を倍増。また、労働時間を9時間から8時間へ短縮。1日の勤務体制がそれまで2交代制だったものを3交代制に変更しました。

この結果、年間の離職率は1年もしないうちに16%に減少、生産性は40%から70%に上昇、1914年から16年にかけてフォードの利益は3000万ドルから6000万ドルへ倍増しました。フォードは後に「1日8時間の労働に対して日給5ドルを支払うことは、われわれがこれまで実施したコスト削減戦略の中でも最良の策の一つだった」と述べています。

【現在にも通じるヘンリー・フォードの考え】

フォードとサミュエル・クラウザーの共著「My Life and Work」の中で、フォードは「高い賃金を分配できれば、今度はその金が消費され、商店経営者や卸業者、製造業者や他の分野で働いている労働者たちを豊かにする。そして彼らの繁栄がわれわれの売上に反映される。全国規模で賃金が高くなることは、全国規模の繁栄を意味する」と述べています。現在ではニュー・ケインジアンが、高い賃金が自ずと消費者需要を生み、多少のインフレも悪いことではないと主張しているようです。

アップルが中国工場において3年間で賃金を倍増したことにより、優秀な従業員を引き寄せ、競争力をつけたとも言われています。

日本においては現在、アベノミクスでの賃金上昇が話題となることがありますが、どのような考え方を持って賃金設定を行っていくのか、各企業にとってはそのことが重要なことのように思われます。

(参考文献 ありえない決断)

ザッポス 1999年の決断

本日はザッポス 1999年の決断に関して記載します。

1999年当時、アメリカにおいてはウェブサイトにアクセスする人数の数で業績が判断されるドットコム・ブームの時代でした。ザッポスはそのころシューサイトドットコムという名前で、「靴のアマゾン」になると宣言してスタートしました。

そのころはガム一個から無料で宅配してくれる時代で、利益ではなくウェブサイトにアクセスする人数で業績が判断される時代でしたが、ザッポスの試し履きもできない、ネット上での靴の販売に関しては、あまり人気がありませんでした。そのため、徐々にザッポスの経営者は窮地に立たされていきます。

その中で思いついたのが「靴の返品を受け付けるリスクを取る」という判断でした。この導入に至っては何時間も議論・分析したというわけではなく追い詰められたザッポスがエイヤで始めた戦略だったと言います。

この作戦は一か八かの勝負でしたが、結果、成功。顧客数が伸びただけでなく、閲覧していただけの人の購入に転じる顧客転換率も上がっていきます。ザッポスのスインマーンによれば、注文の40%は返品されるそうですが、これをコストとみなすのではなく、マーケティング費用とみなしていると言います。返品が多い顧客は繰り返し利用してくれる顧客であり、客単価も高いと言います。

このような一か八かの賭けによって判断された、返品自由(しかも無料配送)というサービスによって、創業時の資金も尽きかけていたザッポスは復活したのです。

更にザッポスは、ネットの仮想店舗という立場から、自社倉庫に数十万足の在庫を抱える立場に転身。この倉庫を設けるという選択によって、従来は一週間だった納期を短縮。顧客からの支持を受けていきます。

ザッポスは経営のハウツー本のように、無料配送・返品自由の戦略をとり入れた際、綿密な分析を行ったわけではなかったのです。オンラインショップという立場を守るのではなく、顧客との関係性を重視するということを積み重ねることによって今日のような成功に至ったのです。ネットでビジネスを行う際にも顧客との関係性が重要となるわけです。

(参考文献 ありえない決断)

ユニクロ転換点

本日はユニクロの小売店舗ブランド向上に向けた取り組みに関して記載します。

【ファーストリテイリングの成長への転換点】

ファーストリテイリングは山口のメンズファッション小郡商事を前身とします。1984年にユニクロ店舗を広島に出店した当時は、売上高は約14億円、営業赤字1400万円に陥っていましたが、その後25年あまりの間に売上高で約580倍、店舗数で315倍の規模に成長しました。この成長の中でファーストリテイリングは様々な転換点を迎えます。最初の転換点は、1984年にユニクロ1号店出店に際して紳士服専門店からカジュアル衣料品専門店へ転換したことです。そして、1991年ごろにチェーンストア化を実行に移したことが次の転換点となります。続いて1994年に広島証券取引所へ上場し、134億円の資金を調達したことにより、全国チェーン構築への推進力を獲得したことが3番目の転換点。そして4番目の転換として、原宿店の出店とフリース・ジャケットの大規模投入を契機とする小売店舗のブランド化。最後に直近での2005年における柳井社長復帰と持ち株会社への移行決定に伴う事業の再構築です。

【ユニクロの小売店舗イメージ向上に向けた商品力強化】

前述のように、ファーストリテイリング社は1994年に広島証券取引所に上場したことにより、首都圏への出店も始めました。しかしながら、それらの店舗は、都市外縁部のロードサイドに立地していたため、100店舗の出店を達成していながら、ユニクロの関東地方における認知度は極めて低かったと言います。また当時のユニクロの品揃えは、ポロやラコステなどのディスカウント販売を軸に、リーバイスやヘインズ、フルーツ・オブ・ザ・ルームといったNB商品が約3割を占めていました。特異性の希薄な品揃えと周縁的な店舗立地であったため、「安かろう、悪かろう」が、多くの消費者が知覚するユニクロのイメージだったと言います。

こうした店舗イメージを払拭するべく、1996年にPB開発体制の充実を目的とし、東京事務所を渋谷区に開設し、商品開発体制の一本化を図ります。また、広告キャンペーン「ユニクロの悪口言って100万円」を実施し、ファーストリテイリングが推進していた商品調達体制の強化にとって有用となる膨大な消費者クレーム情報を入手したりしています。

柳井氏は「売(れ)るものがなければ小売業は成立しない」という信念のもと「売れる商品」を絞り込んで特定し、それらを迅速、確実に商品化するための体制づくりを推し進めていきます。その取り組みの中で、店頭に展開するアイテム数を400から200へと絞り込んだり、ユニクロ初期の成長を支えたNB商品の取り扱いを打ち切ったりしました。そしてカイハラや東レといった原料素材メーカーとの連携強化と革新的な定番商品の開発を志向するようになっていきます。併せて、生産を委託する工場の数を130から40へ削減。取引相手の数を限定し、各取引先への発注量を拡大することで、厳格な生産管理による品質向上と単品レベルでの期中生産の導入を図りました。

過去のPOSデータ分析も含め、こうした独自の戦略商品開発へ向けた取り組みを行うことで、定番化の見られる商品を抽出し、その企画・調達・販売に向けた準備を積み重ねていきます。そして、その中から登場した一つが、過去大ヒットしたフリースとなるのです。

【終わりに】

上記「ユニクロの悪口言って100万円」は1万件もの数のクレームを集めたそうで、インパクトもあり消費者からの様々な声も集められる手法として興味深いものがあります。一方で、ユニクロはその成長過程において「スポクロ」「ファミクロ」の失敗や大阪ミナミのアメリカ村店の業績不振など、決して常に成功し続けてきたというわけでもありません。失敗を糧にして自己変革を続け、あるべき理想の形に邁進してきたからこそ、今の成功があるようにも思われます。

(参考文献 日本の優秀小売企業の底力)

大丸札幌

本日は大丸に関して札幌大丸店を軸に記載します。

【大丸の改革】

大丸は1999年から営業改革を開始しました。その改革で“それまで売場ごとに差が生じていた個々の売場の業務プロセスを標準化して、本社が店舗・事業部を横断的に管理”“スケールメリットにより大丸がMD業務への関与を深めることのできる一括仕入れ制度の導入(※)”“ITによる業務のシステム化”を行ってきました。それら改革により生み出したキャッシュフローを活用して中心部に立地する大規模店舗の出店・増床、及び百貨店業界では珍しい郊外のショッピングセンター内などへの小規模店舗の出店を積極的に行ってきました。

【大丸札幌店の高効率・高収益ビジネスモデル】

大丸の営業改革開始時、地域一番店が神戸店のみでした。それに対する対応策として大規模店舗の出店を行ったのですが、2003年3月に売場面積4.5万平方メートルの札幌大丸店を開業しています。札幌は大丸にとって全く基盤のない地域で知名度も低かったので、しがらみなく、上記のような営業改革で蓄積した知識を取り入れ、顧客満足と効率性の双方を追求するストアオペレーションと売場づくりを行いました。

品揃え面では、札幌の既存百貨店との競合を避け、中低価格の商品を充実。札幌初となるブランドや地域のブランドを導入し、新規性と親密性のあるブランド構築を行いました。店舗構造は商品ストックを十分に確保。在庫品の並べ方を標準化して従業員の誰でもピッキングが迅速にできるようにしたり、ストック場の通路幅を90cmとって台車の出入りを可能にして、納品・返品などの業務を容易に行えるようにしたりしました。顧客の待ち時間を減らすために「ストック場から商品出しは60秒以内、接客後の返却は90秒以内」というルールも決めていました。

組織面では、それぞれの従業員が担う役割を明確化し、これに適する要員を算出し配置するとともに、マネジャーの人数も1フロアに1名としました。また、約40人の営業支援チームを設置し、返品処理・包装・倉庫整理・日報処理等の付帯業務を部門横断的に担当するようにして、店頭の販売員がこれらの付帯業務に時間を割くことなく、販売に専念できるような体制を整えました。

これらの効率化を目指した施策により、大丸の同規模の店舗の場合、800名から900名の社員で運営していたところ、札幌店は約500人で、しかもその半数はパートタイマーなどで運営することができるようになりました。この結果、札幌店の売上高人件費率は低まり(3.8%)通常、3~4年かかる営業黒字化を開店初年度で達成するという成果を上げました。

札幌店は、主要ターミナル駅に直結するという好立地と営業面の成果もあり、売上高で増収を続け、開店初年度の2004年2月期の売上高393億円が、2011年2月期の売上高544億円へと成長。札幌で地域一番店にまで成長しました。

【大丸札幌店の横展開】

2008年、東京店移転増床時には札幌店での経験を活かしました。例えば、移転後の東京店の靴売場は面積が旧店と同規模だったのですが、ストック場の面積が拡張されていて、10ヶ所に分散していたものを3ヶ所に集約しました。また、通路幅や棚の商品分類なども札幌店と同様の方式を導入し、在庫探しの時間を従来の4分から2分以内に短縮するような工夫を行いました。売場マネジャーの人数も1フロア1人にしました。

大丸は営業改革の成果を、他店舗にも取り入れ、進化させてきています。主要ターゲットを18~34歳に絞り込んだ「うふふガールズ」も心斎橋店北館での成功を受け、京都店を始めとした各店に展開しています。

この進化の繰り返し、変化できる力が大丸の強さの一つだと思われます。

※百貨店のMD業務では、店舗の販売力が強いほど人気ブランドや売れ筋商品が確保しやすい状態になっています。これは近年、百貨店の取引先に対する交渉力が弱まり、取引先が販売先の百貨店を選択することが可能になったためです(逆選別)。取引先は商品の売れ残りリスクを自らが負担するため、売れ残りを防止するために販売力のある地域一番店に有力ブランドや売れ筋商品を集中させ、販売力のない百貨店には注文数に満たない商品を納品する場合があります。このため、大丸は一括仕入れ制度を採用し、商品力の強化を図ろうとしたのです。また店舗が仕入れに要していた負荷を軽減し、サービス提供業務に専念することも可能としました。

(参考文献 日本の優秀小売企業の底力)

SC湾岸戦争

本日はSC湾岸戦争に関して記載します。

2013年12月20日に「イオンモール幕張新都心」が千葉市美浜区にオープンしました。このショッピングセンター(SC)は売場面積12.8万平方メートル、全長1.5キロメートルとなっており、国内でも最大級の規模を誇ります(国内第3位)。そして、同SCから直線距離で約5キロメートル西の千葉県船橋市には、三井不動産が運営する「ららぽーとTOKYO-BAY」があります。イオンモール幕張新都心の開業により湾岸で激しい競争が勃発したのです。

【イオンモール幕張新都心】

イオンモール幕張新都心の特徴として「コト消費」に軸足を置いている点があります。お笑い劇場や職業体験テーマパーク、特撮ヒーロー展示館など、来場客参加型の施設を多く配置しており、物販エリアにおいても楽器演奏やピザ作り、スポーツ用品の試し打ち、自転車の試乗など、体験をウリにしたテナントがそろっています。従来のSCは物販が中心でイベントが土日の集客策として行われていましたが、同SCにおいては体験型施設を多数導入することで集客を図っていく狙いです。

モールは「大人」「ファミリー」「スポーツ&家電」「ペット」をキーワードにライフスタイルで分けた4つの施設で構成。日本初上陸や新業態、千葉初出店といった184店舗を含む約360の専門店を集積しています。

上記のような形で、若いファミリーだけでなく、シニア世代も一緒に楽しい時間を過ごしてもらえるようにして、親子3世代を取り込み、年間来場客数3500万人を目指しています。

【イオンモール幕張新都心 出店内容】

・代官山で人気の「蔦屋書店」

・吉本興業初のショッピングモール内常設劇場「よしもと幕張イオンモール劇場」

・日本初上陸のデンマーク発低価格雑貨店「ソストレーネ・グレーネ」

・アニメやゲームを題材に遊びとオリジナルグッズとカフェを融合した「ナムコキャラポップストア」

・ガンダムの世界観を楽しめる「ガンダムカフェ」

・日本初のレストラン併設職業体験テーマパーク「カンドゥー」

・東映の歴代ヒーローの所蔵品を展示した体験型エンターテインメント施設「東映ヒーローワールド」

・ペットのリハビリ専用プールまで完備した総合ペットストア「ペスコ」

など。

【ららぽーとTOKYO-BAY】

ららぽーとTOKYO-BAYではイオンモール幕張新都心開業の1か月前に大規模改修を実施しました。神奈川県地盤の低価格スーパー「ロピア」や子供に人気の「ポケモンセンター」など誘致し、イオンが得意とするファミリー客に照準を合わせたテナントを誘致。また、2014年夏までリニューアルを継続し、「ZARA HOME」など海外ブランドを新たに導入し、強みの高感度ファッションに磨きをかけていきます。このような取り組みによりららぽーとTOKYO-BAYはイオンモール幕張新都心の迎撃態勢をとっているのです。ららぽーとTOKYO-BAYでは全館改装終了後にはピーク時の653億円(2008年)を上回る年商700億円を目指しています。

【湾岸地域に留まらない、SC戦争】

国内SCの施設数は、改正まちづくり3法が施行された2007年以降、増加ペースが鈍っていましたが、2013年は2012年の出店数を急激に上回っています(新規オープンSC数 2007年97→2012年35→2013年65)。例えば、イオンモールでは2014年以降、2期連続で2ケタ出店を計画しており、各社とも新規開発に積極的になっているそうです。

その一方で、大都市圏では、新規施設と既存施設の商圏がバッティングするケースも増えています。大規模施設の開業によってスタッフの取り合いとなり、人件費の高騰に頭を悩ましているテナントも後を絶たないようです。

2015年には「ららぽーと立川」がオープンし「イオンモールむさし村山」と激突予定。神奈川県平塚市でもららぽーととイオンモール双方に開発計画があります。

両社それぞれ特徴づけとして、イオンモールはコト・体験・体感を重視してライフスタイルを提案するモールづくりを志向し、ららぽーとは上質・ファッション・高付加価値をテーマにしてモールづくりを進化させようとしているようです。SCの違い・特徴を打ち出すことで戦っていく構えのようです。

いずれにしても、今後、大規模SCの出店競争は、ますます過熱していきそうです。

(参考文献 週刊東洋経済12/28-1/4新春合併特大号)

2014年の世界経済予測

本日は2014年の世界経済予測に関して記載します。

【アメリカ】

アメリカにおいては、緩やかな回復トレンドが継続し、14年は2%後半の成長が予想されています。リーマン・ショックの影響により2009年10月には失業率が10.0%を記録しましたが、2013年11月は同7.0%と低下。13年8月以降に生まれた雇用は月20万人を超えていると言います。個人消費は雇用・所得環境の改善に加え、株価や住宅価格などの資産価値の上長によって増加基調が続いています。直近の問題としては財政問題で、14年2月の政府債務上限問題で、米国債が債務不履行に陥れば、米国債投資や米国債を担保とする取引が影響を受け、金融機関などの資金繰り問題に発生する可能性があります。この問題に対する動きが本格化するのが2月中旬から3月初めとなります。

一方、FRBが2月初めにイエレン新体制に移行します。13年にFRBは、金利上昇の見極め、財政問題、景気回復への自信喪失といった理由から、QE3縮小を見送ってきました。しかしながら、上記のようにアメリカ経済は回復基調にあることや、財政の目途がつく財政問題にめどがつく、14年3月までにはFRBがQE3縮小に踏み切ると予想されています。

【欧州】

ユーロ圏経済は2011年後半以降の景気後退局面から脱しました。金融市場が安定化し、家計・企業のマインドが改善し、個人消費や設備投資の持ち直しに繋がりました。また、海外経済の復調やユーロ安効果による輸出回復も景気を支えました。国別でみると、ドイツが力強さを増しつつあるほか、南欧諸国も景気後退を脱し、持ち直しに転じつつあります。欧州委員会の集計によると、ユーロ圏全体の緊縮規模は12年GDP比1.2%、13年同0.7%で、14年は同0.2%と更に縮小される見通しです。緊縮政策が緩和されれば、国内民間需要への逆風が和らぐこととなります。

14年もユーロ圏の景気の回復は続く見通しですが、通年では1%程度の低成長にとどまると予想されています。

【中国】

中国の14年のGDP予想は7.2%~7.5%。習近平主席が率いる新指導部が13年に発足していますが、基本的に引き締め気味の経済政策を推進しています。FRBのQE3の縮小により中国経済も影響を受けることが想定されます。

【新興国】

これまで、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)への成長期待とリーマン・ショック後の世界的な金融緩和によって、新興国へ海外から資金が流入するという状況でした。新興国はその海外資本をテコに背伸びをした成長が可能でした。ところが、アメリカのQE3縮小の動きに伴って状況は一転しています。

ブラジルとインドは資金流出圧力が高まり、自国通貨安と輸入インフレに見舞われました。ASEANも順風満帆ではなく、インドネシアは通貨ルピアが急落、高インフレになっています。フィリピンは台風30号の被害があり、外資誘致の障害になる可能性もあります。タイは与野党の対立が激化し、都市部では大規模なデモが続き行政がマヒしています。

14年はQE3の縮小に伴って、世界的な金余りの状況が解消され、新興国のありのままの実力がむき出しになる年と予想されます。

QE3の縮小がどう影響していくのかが、2014年の世界経済の大きなポイントの一つとなりそうです。特に多くの企業がアジアへの進出を行っていますが、カントリーリスク含め、どうリスクヘッジをかけていくのかが重要なポイントとなると思います。

(参考文献 週刊東洋経済12/28-1/4新春合併特大号 週刊エコノミスト12/31・1/7迎春合併号)