百貨店の取引形態

本日は百貨店に関して取引形態を中心に記載します。

【百貨店を取り巻く環境】

1991年のバブル経済崩壊以降、百貨店業界の市場規模は低迷し、1991年の9.7兆円をピークに、2010年には6.3兆円を割り込むまで縮小しました。市場が縮減する一方、百貨店業界の総店舗面積は1991年の505万平方メートルから2010年に647万平方メートルへと3割程増加。必然的に百貨店間での競合が激化しています。併せて、総合スーパー、ショッピングセンター、専門店ビルなどとの異業態間競争も激化してきていますし、少子化に伴い国内市場も縮小してきています。

【百貨店の業績が低迷した内的要因】

百貨店の業績が低迷した要因として、上記のような外的な要因に加え、内的な要因として、納品業者への過度に依存したことによるマーチャンダイジング、サービス提供能力の低下と低収益・高コスト体質の2つがあると言います。そしてこのことは百貨店の仕入れ形態と密接に関連しているというのです。

【百貨店の仕入れ形態】

百貨店の取引形態は「買取仕入れ」「委託仕入れ」「消化仕入れ」の3つに大別されます。

■買取仕入れ:百貨店が売買契約により取引先から商品を購入する仕入れ方式。原則、百貨店の従業員が商品の仕入れ・管理・販売を行う。

■委託仕入れ:実務上、売れ残り品の返品の約定を付した返品特約買取仕入れのことを委託仕入れと言う場合が多いです。

■消化仕入れ:取引先の従業員が百貨店の店舗内で商品管理・販売業務を行い、顧客への販売が実現した時点で百貨店への仕入れが計上され、販売された商品の所有権が取引先から百貨店に移ると同時に顧客へ移るという取引形態。消化仕入れは売れ残りリスクだけでなく、汚損・減耗・盗難などの販売上のリスクも取引先が負担。

戦後復興期に、委託仕入れやそれに付随して取引先から派遣される派遣店員の利用が拡大。1990年代以降には、取引先主導のブランド商品の取り扱い拡大などにより、消化仕入れが急増しました。消化仕入れは商品仕入れ・販売により生じる百貨店のリスク・コストを取引先が負担するので、百貨店にとっては都合の良い取引形態でした。しかし一方で、取引先がリスク・コストを負担する代わりに、百貨店の仕入れ差益率は買取仕入れに比べて低率になるという問題がありました。

【仕入れ形態の割合の推移】

日本百貨店協会(1998)の調査によると、1955年と97年で買取仕入れが全取引に占める割合は67.5%から34.0%に減少する一方、委託仕入れの割合は20.2%から29.9%に、消化仕入の割合は11.8%から39.6%に、それぞれ増加しています。個別企業を見ると、高島屋は2003年に消化仕入のシェアが全売上高の65%に、三越では2007年に60%に、大丸では2010年に80%に達しています。

【まとめ】

百貨店は消化仕入れを多用することで、仕入れ差益率を低下させてしまいました。また、取引先が運営する売場が増え、百貨店の従業員がマーチャンダイジングやサービスに関する知識を獲得、蓄積して能力を向上する場と機会が減ってしまったのです。また、取引先の派遣店員に運営を頼ることで、自らの経営体質の強化を行う視点が抜け高コスト体質に陥ってしまったということがあるようです。

百貨店は労働集約産業であり、「大規模な店舗の運営」「幅広い品揃え」「高質なサービス提供」という業務を人的資源に依存しています。このため、従業員が新しい経営知識を発見し、それを蓄積し、適切に業務の実行が行えるようなプロセスの構築が必須となります。消化仕入れの売場が多くを占める中で、人的資源の蓄積と活用をいかにして行っていくのかが、百貨店が競争力をつけていくポイントの一つだと感じます。

(参考文献 日本の優秀小売企業の底力)

藤井大丸・京都近鉄百貨店

本日はJR京都伊勢丹出店後の京都地区の百貨店に関して「藤井大丸」「京都近鉄百貨店」の2店舗を中心にピックアップして記載します。

1997年9月、伊勢丹とJR西日本の合弁JR西日本伊勢丹が、京都駅にJR京都伊勢丹を開店しました。JR京都伊勢丹は当初、売場面積32,000平方メートルと京都市内の百貨店では4番目の規模ではあるものの、「ファッションの伊勢丹」をテーマに開店。建物自体が斬新なデザイン(中央吹き抜け、幅26メートル、高低差30メートル、空中経路など)で、施設構成も充実したもの(ホテルや900強の座席数のあるシアター、充実したレストラン街など)で、話題性もあり、開店当初、予想を上回る集客力を発揮したといいます。

この新規参入に対して、既存の髙島屋、大丸、近鉄百貨店、阪急百貨店、地元の藤井大丸が迎え撃つ形となったわけですが、地域一番店の髙島屋京都店は都市型百貨店、大丸京都店はキャリア層やヤング層への対応強化という特徴化を図り、店舗の差別化を図りました。京都地区百貨店の売上シェアを2000年と2009年の対比でみると、髙島屋京都店は35.3%から35.1%へとほぼ変わらず、大丸京都店は26.2%から27.2%へと若干増。一方JR京都伊勢丹は16.0%から25.0%へとシェアを高め、大丸京都店に追いつく勢いです。

さて、京都の都心部、四条にある小型百貨店の藤井大丸ですが、この店舗は、前は京都中心部にはなかった丸井・パルコ的な店づくりを行うことで、顧客からの支持を得ていきます(注:丸井は現在店舗が河原町にあります)。1996年9月から20億円をかけて、対象顧客をヤング、OLゾーンに絞って、段階的に改装していき、特定のテイストで婦人・紳士・子供のファッション、生活雑貨、食料品まで取り揃えた専門店集積ビルへと変化していきました。また、地下の食料品のスーパーは着実に顧客を集めるポイントとなっているようです。現在、地下の食料品売場と同じフロアに化粧品売場があり、女性客の買い回りを狙っているところは面白い気がしました(匂いの面を考慮してコンサルを行うようなタイプの売場ではありませんでした。)。

京都駅前地区にあった京都近鉄百貨店は1995年3月に160億円を投じて11,000平方メートル増床し、売場面積を従来から1.4倍に拡大。1997年くらいまで京都駅ビル開業効果の余波で、飲食、食料品は好調に推移していたといいます。その流れの中で、京都近鉄百貨店はOLキャリア、若者狙いのコンセプトへ店舗の舵を切っていきます。その結果、同店の売上は1997年前年比91.6%、1998年81.3%、1999年85.5%と年々売上高を落としていきます。2000年には一部百貨店部分を残し、「GAP」「無印良品」「ソフマップ」などの専門店を導入し、さらに店舗の方向性を変えていきます。またそれと同時に、シニアの従来顧客層を対応とした紳士カジュアル売場を強化。店舗のコンセプトをコロコロと変えていきます。その結果、2007年に閉店となりました。

大阪地区で小売業の競争が激しくなる中、京都地区もその戦いに巻き込まれていきます。競争が激しくなる中、店舗のコンセプトを固定し、そのポジショニングを明確し、より一層特徴を尖らせていくことが求められると想定されます。

(参考文献 全国百貨店の店舗戦略2011)

大阪小売業の戦い

本日は2013年の大阪小売業の戦いに関して記載します。

 大阪は百貨店戦争が巻き起こっています。2011年にJR大阪駅北側の駅ビルにJR西日本と三越伊勢丹が共同出資する「JR大阪三越伊勢丹」が売場面積50,000平方メートルの規模で開業しました。それに伴い、梅田(キタ)地区では阪急うめだ本店が店舗の建て替えで従来の1.38倍規模の84,000平方メートルへと大型化。大丸梅田店も64,000平方メートルへと1.60倍増床。梅田地区の2005年と2012年の面積比は1.63倍となり、かなりの激戦区となっています。キタだけでなくミナミでも百貨店の増床がなされます。2009年に大丸心斎橋店のそごう店舗買収による増床で80,000平方メートルへ。2011年に難波の髙島屋大阪店が78,000平方メートルへ増床。このように大阪市の各地で百貨店の大規模な増床が一気に巻き起こっています。

そして2013年、4月26日にJR大阪駅北側に複合施設「グランフロント大阪」が開業し、6月13日に阿倍野地区で複合ビル「あべのハルカス」が部分的に営業スタートとなりました。グランフロントはオフィスビルや産官学の交流拠点「ナレッジキャピタル」、マンション、商業施設などで構成されています。この商業施設の開業にJR大阪三越伊勢丹は危機感を募らせているといいます。同店の初年度売上高は当初目論んでいた550億円に達することができず、その6割程度となる310億円でした。2012年においても売上高、来店客数ともに前年を下回りました。そのような中で同社の親会社、JR西日本は、JR大阪三越伊勢丹の一部売場に外部専門店を導入し、早くも2015年春に新装開業する計画を表明しています。あべのハルカスは近鉄グループによる高さ300メートル高層ビルで、百貨店、展望台、ホテル、オフィスで構成されます。2014年春に開業となります。このあべのハルカスの近鉄百貨店阿倍野店の売場面積はなんと100,000平方メートルへ。フルライン、フルターゲットの品揃えで百貨店から離れていた若者や家族層を取り戻す考えです。あべのハルカスの高さ300メートルは日本一となりますので、阿倍野に2014年日本一高いビルと日本一広い百貨店が誕生するというわけです。

このような形で大阪の商業施設の巨大化が継続的に進んでいくわけですが、各店が売上確保のために広域からの集客が必要となる結果、大阪の顧客吸引力が増す(商圏が拡大する)ことが考えられるようです。日本政策投資銀行の試算では2014年度の梅田地区の商業施設売上高は、JR大阪三越伊勢丹が開業した2011年度との対比で1平方メートルあたりの売上高は横ばいで107万円なのですが、売上高は23%増の5800億円になると試算しています。7月下旬に日本経済新聞が京都市、神戸市などに住む20歳以上の男女1242人から回答を得た調査によると、京都に住む人の20%、神戸に住む人の31%がグランフロントへ行ったと回答しており、「近いうちに行くつもり」という回答を加えると、それぞれ40%、53%になったそうです。このように大阪の顧客吸引力が増すことに対して、神戸、京都地区の百貨店も顧客を奪われまいと対抗して改装するという百貨店増床・改装の連鎖反応が関西一円で活性化し始めているといいます。

 小売業の売場面積が拡大する中で、単純に施設を作れば売れるという状況ではなくなってきています。今後、大阪エリアにおいて、各店舗がどのような対策を打って売上の維持拡大を図っていくか、非常に興味深いものがあります。

 (参考文献 日経MJトレンド情報源2014)

札幌の百貨店競争とニッチ戦略

本日は札幌の百貨店競争と「ニッチ」戦略に関して記載します。

2013年10月22日に丸井今井の「大通別館」が来年秋に閉館されるという報道がありました。大通別館は本店大通館と道路を挟んでいるため、賃貸契約が満了するのに合わせて閉館するようです。

そもそも、札幌エリアは2003年の大丸札幌店の出店後、百貨店同士の競合が激しくなっているように見受けられます。大丸札幌店出店前、札幌市内には“地域一番店の丸井今井本店”“三越札幌店”“東急札幌店”“札幌西武”“ロビンソン”“丸ヨ池内”と百貨店は6つありました。そして2003年3月6日に大丸札幌店が、丸井今井本店を上回る地域最大の店舗規模でJR札幌駅に駅ビル型の百貨店としてオープン。この大丸の札幌地区進出が呼び水となって札幌地区の百貨店の生き残りをかけた競合が始まります。丸井今井や三越の別館増築により、札幌地区の百貨店の売場面積は2003年に従来の1.35倍へ。これは名古屋エリアに髙島屋、京都エリアに伊勢丹が駅ビル型の百貨店として開店した時を上回る競争の激しさでした。この厳しい競争状態の中、札幌西武、ロビンソンが閉店することとなります。一方、大丸札幌店は開店以来、好調に売上を推移させ、2009年には丸井今井を抜き、地域一番店へ。大丸札幌店の売上シェアは2004年19.3%から2009年に30.2%と10.8%も上昇。まさしく圧勝という状況です。

 大丸の進出に対して各店で対策をとったわけですが、三越札幌店と札幌西武はターゲットの絞り込みを行います。

 三越札幌店では、2002年9月に40代の「次世代アダルト」への対応強化のために、子ども・家庭用品の売場を大幅に縮小し、婦人服を拡大するという戦略を採りました。45の新規ブランドを投入し、婦人服ゾーンを1層増やし1~6階の6層と拡大。自主運営の平場を設けて、店の独自性や収益性の向上を図りました。

 札幌西武は店舗特性を明確にするため、20~30代のキャリア女性をターゲットにした店づくりにシフト。従来強かった食料品売場を廃止。キャリアファッション、トール&ラージの婦人服、女性客との連動を重視したブランド紳士服を強化しました。

このように三越札幌店と札幌西武はニッチ戦略として対象顧客を絞り込みましたが、どちらも業績が上がらず、札幌西武は市場からの撤退を余儀なくされています。まず、三越札幌店に関しては40代以上のミセス層にシフトするという戦略をとりましたが、これは地域一番店にとってもメインの顧客層であり、自らの市場を築き上げるはずが正面切って強者と戦う状況になってしまったという結果になります。そして札幌西武に関しては、キャリア女性にターゲットをシフトするほど、競争相手が百貨店ではなく、「パルコ」などのファッションビルや駅ビル専門店などとなり、結果として厳しい状況に置かれることとなりました。ニッチ戦略として自らの戦う市場を絞り込む際には競合環境も十分に鑑みてから行う必要があるということです。

 (参考文献 全国百貨店の店舗戦略2011)

阪神淡路大震災後のそごうVS大丸

本日は神戸における阪神・淡路大震災後のそごうVS大丸の戦いに関して記載します。

1995年1月に阪神・淡路大震災がありました。記憶では何年後かに神戸に行ったときに、電車の車窓から復興していない住宅街が目に入り、被害の大きさを感じていたことを思い出します。この震災による影響は大きかったと思いますが、百貨店の趨勢にも大きな影響を与えていたようです。

 阪神・淡路大震災の影響により、神戸の地域一番店を競い合う、そごう神戸店と大丸神戸店、双方ともに店舗建物に大きな被害を受けました。

そごう神戸は、震災前は年商1000億円クラスで地域一番店。当時のそごうの基幹店でした。そのため、当時経営不振のそごうからすると、神戸店を早急に復興する必要性がありました。そこで、倒壊した三宮駅前側の店舗としてメインのゾーンをへこまし、正方形ではなく「コの字型」の店舗形状で、1996年4月に全館復興開店をしました(売場面積:震災前の約85%の41,000平方メートル)。しかしながら、店舗面積が「コの字型」に大きく変形したことで、売場フロアでの平場が取りづらくなり、それまでのそごう神戸店の強みであった品揃えのボリューム感が出せなくなりました。また、形がコの字型ですから、当然、売場の見通しも悪く、顧客の回遊性も悪化しました。震災によって失われた売上・利益を早期に取り返すため、体裁にこだわらず復興開店を急いだという形でしょうか。

 大丸神戸店に関しては、震災前、売上高が大阪・心斎橋店、京都店に次ぐ社内第3位の店舗でした。震災後、1995年4月に震災前の約1/3の売上規模で営業を行っていましたが、復興開店をしたのは、そごう神戸店に遅れること1年の1997年4月。200億円を投じ、三宮側の被災部分を取り壊し新規に建て替える工事を行い、店舗面積も震災前とほぼ同じ49,000平方メートルでの復興開店となりました。これにより、店舗面積がそごう神戸店よりも大きなものとなりました。大丸神戸店はこの建て替えをするのを機に、上質顧客を戦略ターゲットにし、建物環境デザインを「クラシック&モダン」をテーマにしたものとしました。また、MD面においては「新・山の手感覚の正統派」とし、ファッション分野を拡大したり、各階に「シーズンメッセ」という季節商品を集積する売場を設けたりしました。

そごうは経営破綻後、西武百貨店主導で経営再建されることになりましたが、着々と売上を伸ばしていた大丸神戸店から大きく水をあけられる結果となり、近年の推移においても、大丸神戸店に対するそごう神戸店の売上比率は、2008年45.7%、2009年47.1%、2010年48.5%と依然として低調な状況にあります。

かつて地域一番店であったそごう神戸店は震災をきっかけとしてその地位を奪われることになりました。このことから、短期的な売上・利益を求めるあまり、長期的な視点で店づくりの戦略を描けないと戦況を不利にするということが言えると思います。

 (参考文献 全国百貨店の店舗戦略2011)

東武百貨店池袋本店の店内ミニツアーから見る百貨店の接客の変化

本日は東武百貨店池袋本店の店内ミニツアーから見る百貨店の接客の変化に関して記載します。

 近年、小売業において接客の変化が見られると言います。セルフ販売をメインとする業態ではVMDを充実させたり、デジタルサイネージなどの情報通信技術を活用して、合理化を図り人頭効率を良くするような動きが見られる一方で、接客販売業態では商品の探索段階にコンシェルジュを配置したり、商品の比較・選択段階に専門人材によるコンサルティング拠点を設けたりして、個々の顧客に対応するような動きが見られると言います。確かに食品スーパーのいなげやがデジタルサイネージを積極的に取り入れたり、ユニクロがVMDの徹底を図っていたりということが見られる一方で、百貨店においてはコンシェルジュを配置し手厚い接客で中高年層を囲い込もうとしている動きもあると言います。

 東武百貨店池袋本店においては店内ミニツアーを開催しています。この企画は2010年6月17日から始めているそうですが、好評を博しているといいます。この企画の内容としては、東武百貨店側が毎回テーマを決め、そのテーマに沿って関連の売場を複数選び、参加する顧客(毎回10名程度)を案内し、それぞれの売場でバイヤーや専門販売員が商品の品質・機能の特徴・こだわりや開発の背景・仕組みなどを詳しく説明していきます。所要時間は約2時間。参加費は無料。商品試験室で施設の概要説明や電子顕微鏡による検査なども見ることができたりすることもあるようです。ツアー中は商品の売り込みは一切せずに説明のみとなります。東武百貨店池袋本店はかなり広いので(売場面積、約83,000平方メートル)、その点を強みとしてツアーに活かしているのかもしれません。この企画は、従来からある百貨店の丁寧な接客ということのみならず、“顧客に様々な商品・ブランドを発見できる、楽しさ・知識欲を満たす”というサービスを提供していると言えます。

 接客というと、かつてはモノの販売に付随する、顧客に対する丁寧さであったりおもてなしの精神であったりということが取り上げられることがメインでした。確かにこの部分は今でも重要な部分です。しかし現在のようにモノで満たされている時代においては、企業が接客を通じて顧客にいかに価値を提供していけるか、という部分も大切になってきているようです。

 (参考文献 全国百貨店の店舗戦略2011)

都市型百貨店化した地方百貨店

本日は都市型百貨店化した地方百貨店に関して記載します。

1990年中盤からの大店舗法の規制緩和を受け、2000年代には次々に量販店系の大型SCが開業しました。この動きの中で地方百貨店においては郊外型の大型SCとの競合が起こり、経営環境の厳しさが増しました。また地方百貨店が抱える課題として、“店舗規模が限られてしまう”“海外ブランドなどの有名ブランドが地方には入りにくいといった商品の仕入れ面で不利”といったものがあります。本来であれば店舗面積や潜在的な顧客数が少ない地方百貨店はそのあり方を特化し強みを強化すべきなのでしょうが、それができず、また例え特化したとしても人口が少ないため来店客数を伸ばせないだろうという恐れがあります。そのため、ファミリー層もミセス層も富裕層も、と総花的な売場展開を続けるという結果になってしまうようです。

そのような中、SCとの競合からの生き残りをかけ、本格的な都市型百貨店を目指す地方百貨店が出てきたようです。その一つが大和富山店。旧店舗からの移転に伴い、約100億円を投資し売場面積を25,300平方メートルと従来店舗の倍に拡張。既存店舗の中心顧客層の利便性を高めるとともに、上質・高級志向の顧客層、先進性・新しい情報を求めるヤング~アダルト層への対応を行い、幅広い顧客層に支持される店舗づくりを目指しました。新規ブランドはコーチ、ハンティングワールド、スワロフスキー、アンリシャルパンティエなどなど、北陸初47ブランド、富山初77ブランドと刷新を行いました。このように大和富山店は店舗面積を拡大し有名ブランドを展開することで都市型百貨店化しました。また、東京・京都・地元の名店を集積した本格的なレストラン街を設ける一方、従来の年配ミセス顧客にもなじみが持てるファミリーレストランを地下に設けるなどしています。ここが大和富山店の戦略の上手なところだと思います。リニューアルを行う時に対象顧客ターゲットを全面的に変えてしまうと、今までの顧客が自店舗から離れてしまい、売上が落ちてしまうからです。

 都会的で洗練されたブランドファッションや質や機能を備えた本物商品が常備で展開し、喫茶・レストランを併設する都市型百貨店化した地方百貨店。メリットとしては、従来の地域の百貨店や量販スーパーとの差別化が図れることです。逆にデメリットとしては経営的に運営コストがかかるため、売上が取れない場合は利益を創出しにくい体質になるということです。

 SCという競合の登場により動き出した、生き残りをかけた地方百貨店の戦略は興味深いものがあります。

 (参考文献 全国百貨店の店舗戦略2011)

百貨店 婦人服販売の転換点

「百貨店:現在の流れに至る、婦人服販売の転換点」に関して記載します。

1970年代から「ミッシーカジュアル」という市場が登場しました。これが現在の百貨店の婦人服の流れを作っていったようです。そもそも、ミッシーとはミスのような若々しいミセスという意味となります。ミッシーカジュアル登場前の婦人服はスーツかワンピースであり、それも既製服はわずか。プレタポルテとイージーオーダーが全盛でした。それに対してミッシーカジュアルは、スーツやワンピースのような単品の販売ではなく、シャツやボトム、カーディガンなど単品を組み合わせて着こなしを提案する販売方法を使うもので、複数の商品の買上げを意図するコーディネイト販売をするものとなります。それが当時新鮮な概念だったようです。ミッシーカジュアルの登場により、それまで大手百貨店の紳士服と婦人服の売上はほぼ均一でしたが、婦人服関連商品に圧倒的なウエイトが置かれるようになったようです。

このミッシーカジュアル登場前から百貨店は欧米のファッション動向から必ず日本でも既製服主流の時代が来ることを見通していて、海外高級ブランドの導入を図っていました。例えば、大丸が1953年10月にクリスチャン・ディオールと独占契約をしたり、59年に高島屋がフランスのデザイナー、ピエール・カルダンと提携をしたりしています。そういった流れの中で60年代後半から70年代にかけて「既製服化率」が急上昇し、アパレル消費が急速に拡大することとなります。

アパレル業界から大手百貨店に登場したミッシーカジュアルは次のようなものがあります。まず、東京スタイルは1971年に伊勢丹向けに「マイルド」、三越に「エバン・ピコン」をストアブランドとして提供。また、西武百貨店、小田急百貨店に「レポルテ」をNBとしてスタート。樫山も伊勢丹をメイン売場に「アミエル」を立ち上げ、その後「ジェーンモア」もスタート。レナウンは「アデンダ」、三陽商会は「バンベール」をスタートさせます。このような流れの中で、1971年から80年までのほぼ10年をかけて、各アパレルメーカーのミッシーカジュアルの売上は年商100億円規模の基幹ブランドへと成長していきます。80年度の販売実績を見るとアデンダが107億円、レポルテ(「エバン・ピコン」「マイルド」含む)が97億円、バンベールが95億円、ジェーンモアが70億円といった数字です。これらアパレル業界の基幹ブランドが百貨店の婦人服の売上を押し上げることにもなったのです。

 上記から、既製服がこれだけ当たり前になってからそれほど時間が経っていない、ということも言えます。欧米の流れを見て既製服の時代が来ることを察知し、そして、1970年代からコーディネイト販売という大きな流れができあがっていったようです。日頃から当たり前だと思ってしまうようなことでも、時代の流れの中で作られたものだということがわかります。

 (参考文献 現代アパレル産業の展開)

百貨店の売上構成比

本日は百貨店の売上構成比の推移を見てみます。

データは日本百貨店協会のデータより。

2012年、家計最終消費支出は名目GDPの約60%を占めていて300兆円弱という数字になっている中、百貨店の全体的な売上は6兆ですから、全体的にみると消費支出の割合から言ってそれほど大きなウエイトを占めているわけではありません。しかしながら、景気の動向を見る上で注目される数字です。

その、百貨店の全体的な売上は2008年7兆3813億円から2012年には6超1453億円まで減少しています。

また、その流れの中で衣料品の売上構成比が36.8%から34.7%と減少したのに対し食料品の売上構成比は26.1%から28.3%と増加。1995年くらいからエンゲル係数が22%で一定の推移であることからも、百貨店の食料品の人気が裏付けられるような気がします。

百貨店の現状

本日は百貨店の現状に関して記載します。

【2014年4月消費増税前の百貨店の状況】

百貨店の市場規模は年々縮小していましたが、アベノミクスの効果により2012年には既存店ベースでの全国百貨店売上高が16年ぶりに増収に転じました(なお、2012年度の百貨店の業界規模6兆1,453億円)。この背景には株価の回復による資産効果の高騰があります。この2年間で日経平均は最安値8,000円台から最高値16,000円台まで株高となりましたので、この数字からも資産効果の大きさが伺えます。さて、資産効果高騰により百貨店ではバッグなどのブランド商品、宝飾品、時計などの高額品が好調に推移しました。また、「グッチ」や「シャネル」といったラグジュアリーブランドは円安を理由に値上げをしましたが、売上の勢いが止まることはありませんでした。

店舗面では2012年11月に阪急梅田本店の増改装開業、2013年3月に伊勢丹新宿本店の改装開業、6月にあべのハルカス近鉄本店のタワー館先行開業とありましたが、それらの集客も好調に推移していました。

このように消費増税前の百貨店の業況は好調に推移していたわけですが、その一方で、主力の婦人衣料全体が改善していませんでした。百貨店にとって衣料品は収益の源泉的な役割を果たしています。例えば三越伊勢丹の商品別粗利益率を見てみると、衣料品31.7%、身の回り品・雑貨・家庭用品26~29%、食料品21.5%となっており、衣料品の売上の維持拡大が百貨店の利益率を高めるのに重要な役割を果たすことが分かります。ファストファッション等との競合がある中、衣料品分野で多業態に対する競争力をつけていくことも百貨店業界には必要そうです。

また、アベノミクスの効果が東名阪などの大都市圏に限定されているとも言われています。アベノミクスが成功するかどうかは成長戦略がカギを握っています。成長戦略の成果がどのようになるか、そしてそれによりアベノミクスが株価をどれだけ押し上げることができるのか。そのことが、どれだけ百貨店売上を押し上げるのかにもつながってきますので、気になるところです。

【消費増税後の百貨店の状況】

消費増税に対して事前に各社は自主企画品や高級化路線の強化(三越伊勢丹HD)やテナント積極誘致(Jフロントリテイリング)などで独自性を強め、拡販を図る動きを付けていました。

そして、百貨店大手3社が5月1日に発表した4月の売上速報は、三越伊勢丹が前年同期比7.9%減、Jフロントリテイリングが15.3%減、高島屋が13.6%減という結果で、減少幅は予想を下回るものでした。前回平成9年3月の消費増税の際の駆け込み需要は全国百貨店売上高を23%増加させました。それに対して今回の消費増税前の3月の各社の売上高は駆け込み需要の影響で3割ほど伸びましたので、4月は反動減で「20%程度の影響」を懸念する声も上がっていました。ですので、その想定を下回る結果だったというわけです。

【参考 百貨店各社の現状】

■全国展開大手

・三越伊勢丹HD

百貨店最大手。売上高1兆2,369億円。営業利益266億円

・Jフロントリテイリング

大丸主導でローコスト経営を推進。12年8月にパルコを買収。売上高1兆927億円。営業利益308億円

・高島屋

全国に大型店を擁す。売上高8,703億円。営業利益254億円

・そごう・西武(セブン&アイHD子会社)

セブン&アイのグループ力を活用。売上高7,984億円。営業利益100億円

・エイチ・ツー・オー・リテイリング

2011年、博多阪急開業。2012年11月に旗艦の阪急梅田本店グランドオープン。売上高5,251億円。営業利益106億円

■JR・電鉄系

・近鉄百貨店

あべのハルカスが2014年オープン。売上高2,707億円

・東急百貨店

2012年渋谷ヒカリエ内に専門店街「ShinQs」開業。売上高2,061億円

・東武百貨店

東京スカイツリー隣接地に商業施設「ソラマチ」開業。売上高1,505億円

・小田急百貨店

新宿店が旗艦店。売上高1,467億円

・ジェイアール東海高島屋

JRグループが59%、高島屋が33%出資。売上高1,112億円

・ジェイアール西日本伊勢丹

JRグループが60%、三越伊勢丹HDが40%出資。JR京都伊勢丹、JR大阪三越伊勢丹運営。売上高942億円

・京王百貨店

シニア向けに強み。売上高901億円

■地方特化型

・井筒屋

北九州地盤。売上高872億円。営業利益29億円

・松屋

銀座本店に経営資源集中。売上高715億円。営業利益10億円

・大和

北陸地盤。大丸流ノウハウの導入で再建中。売上高508億円。営業利益5.7億円

・さいか屋

神奈川地盤。事業再生ADR完了。売上高395億円。営業利益8.1億円

※事業再生ADR:過剰債務で苦しむ企業に対して、金融支援を与えて再建を目指す制度のこと。

上記以外の老舗百貨店として、藤崎(宮城)、丸広百貨店(埼玉)、天満屋(岡山)、福屋(広島)、トキハ(大分)、鶴屋百貨店(熊本)、山形屋(鹿児島)などがあります。

【2012年度店舗別売上高】

1位伊勢丹新宿本店 売上高2,368億円。前年比0.8%

2位西武池袋本店  売上高1,791億円。前年比1.5%

3位三越日本橋本店 売上高1,631億円。前年比▲1.2%

4位阪急梅田本店  売上高1,446億円。前年比16.1%

5位高島屋横浜店  売上高1,317億円。前年比0.0%

6位高島屋日本橋店 売上高1,261億円。前年比1.5%

7位高島屋大阪店  売上高1,199億円。前年比1.8%

8位松坂屋名古屋店 売上高1,132億円。前年比1.9%

9位そごう横浜店  売上高1,052億円。前年比4.2%

10位阪神梅田本店  売上高892億円  前年比▲3.4%

(参考文献 会社四季報業界地図)