百貨店の取引形態

本日は百貨店に関して取引形態を中心に記載します。

【百貨店を取り巻く環境】

1991年のバブル経済崩壊以降、百貨店業界の市場規模は低迷し、1991年の9.7兆円をピークに、2010年には6.3兆円を割り込むまで縮小しました。市場が縮減する一方、百貨店業界の総店舗面積は1991年の505万平方メートルから2010年に647万平方メートルへと3割程増加。必然的に百貨店間での競合が激化しています。併せて、総合スーパー、ショッピングセンター、専門店ビルなどとの異業態間競争も激化してきていますし、少子化に伴い国内市場も縮小してきています。

【百貨店の業績が低迷した内的要因】

百貨店の業績が低迷した要因として、上記のような外的な要因に加え、内的な要因として、納品業者への過度に依存したことによるマーチャンダイジング、サービス提供能力の低下と低収益・高コスト体質の2つがあると言います。そしてこのことは百貨店の仕入れ形態と密接に関連しているというのです。

【百貨店の仕入れ形態】

百貨店の取引形態は「買取仕入れ」「委託仕入れ」「消化仕入れ」の3つに大別されます。

■買取仕入れ:百貨店が売買契約により取引先から商品を購入する仕入れ方式。原則、百貨店の従業員が商品の仕入れ・管理・販売を行う。

■委託仕入れ:実務上、売れ残り品の返品の約定を付した返品特約買取仕入れのことを委託仕入れと言う場合が多いです。

■消化仕入れ:取引先の従業員が百貨店の店舗内で商品管理・販売業務を行い、顧客への販売が実現した時点で百貨店への仕入れが計上され、販売された商品の所有権が取引先から百貨店に移ると同時に顧客へ移るという取引形態。消化仕入れは売れ残りリスクだけでなく、汚損・減耗・盗難などの販売上のリスクも取引先が負担。

戦後復興期に、委託仕入れやそれに付随して取引先から派遣される派遣店員の利用が拡大。1990年代以降には、取引先主導のブランド商品の取り扱い拡大などにより、消化仕入れが急増しました。消化仕入れは商品仕入れ・販売により生じる百貨店のリスク・コストを取引先が負担するので、百貨店にとっては都合の良い取引形態でした。しかし一方で、取引先がリスク・コストを負担する代わりに、百貨店の仕入れ差益率は買取仕入れに比べて低率になるという問題がありました。

【仕入れ形態の割合の推移】

日本百貨店協会(1998)の調査によると、1955年と97年で買取仕入れが全取引に占める割合は67.5%から34.0%に減少する一方、委託仕入れの割合は20.2%から29.9%に、消化仕入の割合は11.8%から39.6%に、それぞれ増加しています。個別企業を見ると、高島屋は2003年に消化仕入のシェアが全売上高の65%に、三越では2007年に60%に、大丸では2010年に80%に達しています。

【まとめ】

百貨店は消化仕入れを多用することで、仕入れ差益率を低下させてしまいました。また、取引先が運営する売場が増え、百貨店の従業員がマーチャンダイジングやサービスに関する知識を獲得、蓄積して能力を向上する場と機会が減ってしまったのです。また、取引先の派遣店員に運営を頼ることで、自らの経営体質の強化を行う視点が抜け高コスト体質に陥ってしまったということがあるようです。

百貨店は労働集約産業であり、「大規模な店舗の運営」「幅広い品揃え」「高質なサービス提供」という業務を人的資源に依存しています。このため、従業員が新しい経営知識を発見し、それを蓄積し、適切に業務の実行が行えるようなプロセスの構築が必須となります。消化仕入れの売場が多くを占める中で、人的資源の蓄積と活用をいかにして行っていくのかが、百貨店が競争力をつけていくポイントの一つだと感じます。

(参考文献 日本の優秀小売企業の底力)

2014年経済予想

2013年もいよいよカウントダウンに入ってきましたので、本日は来年の経済面の予想という点に関して記載します。

【2013年の振り返り】

2013年の日本のマーケットと経済環境は、アベノミクスの“大胆な金融緩和”“機動的な財政出動”“成長戦略”という3本の矢を矢継ぎ早に放つという政策によって、一定の日本経済への期待を投資家や国民に与えることに成功しました。実際に、企業活動活性化の目が出つつありますし、為替は12月11日の1ドル=80円から13年12月は1ドル=103円程度と26%もの円安となり、日経平均株価は70%以上も上昇しました。

【消費税増税に伴う、日本経済への影響】

2014年4月に消費増税がなされますが、その影響により4~6月くらいにかけて、経済成長率がマイナスになる可能性がありますし、当然、株価にもマイナスの影響が出てくることが想定されます。安倍政権は8%の消費増税の判断の際、5.5兆円の補正予算と1兆円の減税をセットで打ち出しており、そのことによりある程度、消費増税のマイナスの影響をオフセットできることが想定されます。しかしながら、それだけでは力不足で、金融緩和第2弾か構造改革的な政策の実施がしっかりとなされなければ、成長率や株価に影響してくる可能性もあるようです。

15年10月からの消費税10%への増税判断時にも、8%増税の時と同様、何らかの経済対策が行われる可能性があります。2014年度の税制改正で争点となった、消費税に対する軽減税率の動きが出てくる可能性もあるようです。この軽減税率は13年11月に税調が始まるや否や中小企業や小売業者を含む各種経済団体から一斉に反対されました。軽減税率が必ずしも低所得者対策になるとは限りませんし、事業者の経理作業も煩雑になり、特に中小企業では対応が追い付かなくなるというデメリットがあるからです。14年度の税制改正大綱では、対象品目など制度の詳細について14年12月までに結論を出し、15年度の大綱に盛り込むとされています。14年12月は消費増税に向けて首相が決断を迫られる時期ですので、何らかの動きが出てくることが想定されます。

また、14年末までに景気悪化を回避するための補正予算や法人税減税が再び議題にされる可能性もあります。

【日銀の動き】

13年10月の全国消費者物価指数上昇率は前年同月比0.9%と堅調に上昇しているように見えますが、その背景には「円安による輸入物価の上昇」「原油価格の上昇」「原発停止によるエネルギー価格の上昇」などが寄与度の半分以上を占めていると言います。

14年4月の消費増税に伴い経済が悪化し、物価上昇率も鈍化している可能性があります。黒田総裁は13年12月7日の講演で異次元緩和の効果性について強気の発言をしているそうで、そのことを受けると当然、この政策は継続されるでしょうし、14年4月以降の景気悪化を受けて、金融緩和第2弾が実施さえる可能性も高いと想定できそうです。

【TPPに関して】

2013年内妥結を目指していたTPP交渉は14年に持ち越されました。合意の先送りは11年、12年に続いて3度目となります。TPP交渉の難航には知的財産などを巡って先進国と新興国が対立しているという構造があります。オバマ大統領の支持率が下がる中、オバマ政権は業界団体など各利害関係者を代表する議会を意識し、TPP交渉で強硬姿勢を緩めませんでした。14年11月には中間選挙も控えていますので、利害関係者の票を意識した議会の突き上げは更に強まる見通しです。このため、アメリカは日本や新興国に対して強硬路線を緩めず、このままTPP交渉が漂流していく可能性もあるようです。また、韓国がTPP交渉への参加に舵を切っていますので、今後、新たな利害関係が増え、交渉が更に複雑化してくことが想定されます。

【成長戦略に関して】

アベノミクスの成長戦略に関しては、投資家からの評価が低く、構造改革がなされていないという話があります。成長戦略は日本経済の低い雇用流動性を改善し、新しい産業の付加価値を高め、減少する労働人口を補うことで中長期の潜在成長率を高めようとしていますが、14年6月~7月には新たな成長戦略が再び策定される可能性があるといいます。

2014年の日本経済のポイントは消費税増税後に想定される景気悪化に対して、どのような政策が打たれるかということになりそうです。また、長期的なビジョンで見て「成長戦略」の中身がしっかりしたものが出てくるということも期待されると思われます。

(参考文献 週刊東洋経済12/28-1/4新春合併特大号 週刊エコノミスト12/31・1/7迎春合併号)

バーンズ&ノーブルとボーダーズ

本日はアメリカの書店「バーンズ&ノーブル」「ボーダーズ」に関して記載します。

市場が縮小する中にある一方で、小売業において、同業とはいえ、競合他社よりも持続的に優れた成果を残している企業があることも事実です。成果を残している企業というのは「組織能力(価値をつくり出す集合的な仕事のやり方)」が強みになっていると言います。ペンシルバニア大学のラフが進化経済学の立場から1970~95年のアメリカの二大書店チェーン「バーンズ&ノーブル」と「ボーダーズ」の生成・発展過程を取り上げていますが、両社はともに郊外立地で「スーパーストアと呼ばれる大型書籍専門チェーンとして急成長し、業界を二分する存在となったものの、歴史的な初期条件の違いから、異質な能力を備えていたと言います。

【バーンズ&ノーブル】

バーンズ&ノーブルはアメリカ合衆国で最大の書店チェーンであり、また最大の専門小売店だそうです。1960年代、レオナルド・バッジオが大学近くで小さな学生向けの書店を起業し、優れた接客サービスにより繁盛店となり、多店舗化に乗り出していきます。71年にはニューヨーク5番街にある老舗書店バーンズ&ノーブルを買収します。スーパーマーケット方式の経営に習い「うず高く積んだ本を、素早く売り切る」商法を導入。アメリカの書店で最初に特売商品を掲げたテレビ広告を打ったりしています。徹底した値下げ販売はたちまち保守的なニューヨークの書籍業界に旋風を巻き起こしたと言います。バッジオは経営の採算性を維持するため、2つの点に留意したそうです。一つはベストセラーと広告した商品は33%引き、他のハードカバー本は15%引き、特定のペーパーバックは20%引き、他のペーパーバックは15%引き、特定のペーパーバックは10%引きとするマージンミックス(粗利益の組み合わせ)の最適化を確立したこと。もう一つは中央集権的な在庫管理と店舗運営を取り入れ、ローコスト・オペレーションを徹底したことです。

バーンズ&ノーブルは積極的な企業買収や書籍のカタログ販売で、さらに規模の利益を追求していきます。

バーンズ&ノーブルは、「低価格訴求で大量販売を実現する業態・出店戦略」をとり、中央集権的な店舗運営システムを構築していったのです。

【ボーダーズ】

2011年に経営破綻した企業となりますが、2005年にはバーンズ&ノーブルに次いで2番目に大きい書店チェーンでした。

トーマスとルイスのボーダーズ兄弟が、ミシガン大学のある大学町のアナーバーで1960年代終わりに古本屋を開業したのが始まりとなります。その後、71年に大学町のメインストリートで小さな店舗物件を見つけ、そこで大学町に住む顧客の多様な関心に応えるために品揃えの幅を拡大して展開していきます。そのことが顧客の支持を広げ、間もなく同じ通りの大きな店舗へ移転。その間、取扱書籍数の増加に対処して、ルイスが簡単な在庫管理のためのソフトウエアを作成し、漸次改良を加えていきました。売場管理を行っていた従業員は在庫管理表を見ながら、出版社別でなくテーマ別・作者別に棚割を作成し、担当分野の在庫補充を行い、時には売場に出て商品説明やレジの仕事も行っていました。1974年には在庫管理システムが線形モデルによる販売予測機能を備えるようになり、その後更に、商品バーコードの導入や配送センターの設置により、システムが高度化していきます。

ボーダーズの強みは専門書を含む大量の在庫をコンピュータで迅速に管理し、地域ごとに適切な品揃えを行う「独自の在庫管理システムの開発を軸にした地域密着型の店舗経営」というものとなります。

【アメリカの二大書店チェーンから見える、組織能力の形成に関して】

バーンズ&ノーブルやボーダーズの例から、まず組織能力というものは、歴史初期の条件によって影響され、その後の流れを受けて形作られていくということが見えてきます。また、同じ事業分野であったとしても、企業ごとに異なった能力が蓄積されていくということも見えてきます。このように形作られた組織能力は、他の関連する経営資源や能力によって補完され、持続的な競争優位性の基盤を形成していくようです。

歴史や初期の条件とその後の経過によって、企業の強みが作られていくということは、自社を見つめ直すとき、他社をベンチマークするときに、認識しておいた方がよさそうです。

(参考文献 日本優秀小売企業の底力)

湖南平和堂

本日は海外進出の際、現地市場への適応化を図った“湖南平和堂”に関して記載します。

小売業各社が海外進出を図る中で、失敗する企業もあれば、数は少ないものの進出先市場でマーケットリーダーとなっている企業もあります。例えば、イオンのアジア事業を牽引する『イオンマレーシア』、中国内陸部の成都で総合量販店として高収益を上げている『成都イトーヨーカ堂』、中国内陸部の湖南省長沙市で地域一番店を作り上げた『湖南平和堂』が挙げられます。

【総合スーパー 平和堂】

平和堂は1957年に滋賀県彦根市の中心街・銀座街の一角に「靴とカバンの店 平和堂」として創業した店で、その後、総合スーパーとして成長してきました。2011年でみると同社は小売業売上高ランキング25位。総合スーパー売上高ランキングで見ると7位。有力地域チェーンです。中国事業に関しては、収益力はイオンのアセアン事業と並んで、売上高営業利益率7%台と極めて高い水準にあり、とりわけ1号店の本店は圧倒的な地域一番店の座を確保。3店舗の展開になりますが、その3店舗で平和堂グループ全体の15.9%もの営業利益をはじき出しているといいます。

【湖南平和堂 総合スーパーの予定が高級百貨店へ方向転換】

平和堂が最初に進出した長沙市から少し離れた再開発物件である五一広場店は、当初総合スーパーとして構想されていました。ところが、この総合スーパーの計画は当初から挫折します。売場の基本的なゾーニングやレイアウト、店舗運営や販売面においては問題なかったのですが、商品調達面で難題が生じたのです。事前の調査で、地元消費者が平和堂を外資系小売業とみなしており、上海などの百貨店や商業施設で販売されているブランド商品に対するニーズが大きいことが判明します。中国では偽物商品が多いため、消費者のブランド信仰が予想以上に強かったのです。当初、日本での経験を踏まえ、ワンストップ・ショッピングと比較購買機能を充足するために、直営売場70%、テナント30%という売場構成を想定していました。しかし、中国には問屋機能がなく、直営売場の商品仕入れは自社で行わなければなりませんでした。そのため、外国の初めての土地で信用や人間関係もなく、仕入れ規模も小さかったため、有名アパレルメーカーと商談しても相手をしてもらえない。日本製品を中心に品揃えしたのでは、デザインや価格の面で現地市場に適合しない。そのようなことから自社で直営売場の商品を仕入れることが非常に厳しかったのです。その状況を打破するため、衣料品を中心に専門小売店や製造小売業のテナント比率を引き上げ、売場を構成する方針に切り替え、テナント売場の比率を50~55%まで拡大していきました。それにより、初年度の売上は約46億円と順調な滑り出しとなり、期間営業損益は、開業費負担を除いて、黒字化を果たします。その結果を受け、五一広場店は開店後、数年かけて直営方式からテナント方式へと売場を徐々に切り替えていきました。

同時に、接客サービスが予想以上に強力な顧客吸引力を持つこともわかりました。長沙の人々は平和堂を百貨店とみなし、上質な接客サービスを期待しました。実際、来店する顧客は店員に相談し、勧められる商品の中から選択し、購入をしていました。それを受け、現場での接客サービスの重視が徹底されていきます。

平和堂は日本では総合スーパーであり、百貨店として海外進出をしようとしたわけではありませんでした。自社仕入れの難しさや現地市場への適応の結果として、事後的に有名ブランド商品の強化や対面販売の徹底が図られたのです。小売業には現地に合わせた湖南平和堂のような柔軟な対応が求められると言えそうです。

(参考文献 日本の優秀小売企業の底力)

コメリの船団方式出店戦略

本日は、コメリの船団方式出店戦略に関して記載します。

【コメリの小型店出店 独自の専門性を持ったハード&グリーン】

コメリは1974年に実施された大店法による出店規制や79年の規制強化(規制対象が売場面積1500平方メートル以上から同500平方メートル超に引き下げ)といった流れを受け、「ハード&グリーン」という売場面積150坪スタイルの小型店を出店していくようになります。このハード&グリーンの特徴は、金物と工具(ハード)、園芸用品と農業資材(グリーン)の2つの商品カテゴリーに絞り込んだ、専門店指向の徹底を図ったことと、店舗バッグヤードに在庫を置くスペースを持たず、納品された商品をそのまま通路に置き、速やかに売場に陳列する作業システムを採用したことです。このコメリの戦略が同社の成長につながっています。

【コメリの集中出店戦略 船団方式】

そして、コメリは小型店を中心としながら、中・大型のホームセンターの出店も行っています。これは競争相手の大型店が近隣に出店した場合、同社の小型店の売上に影響するので、その対策として中・大型店の出店を行い競合相手に対する防御装置としています。コメリは上記のような、大きな戦艦の周辺に小さな駆逐艦を配置するように、小型店と中・大型店を組み合わせて地域市場を制覇していく独特の集中出店戦略を船団方式と呼んでいるそうです(2010年8月時点ではホームセンター1店に対して小型店6店の割合で出店)。

全体の店舗数の推移を見ると、最初に総店舗数が100店舗に達成するのに15年かかっていますが、その後、店舗数の増加度は加速。200号店は100号店達成から3年数か月、そして300号店はそれからちょうど3年。400号店以降は、ほぼ2年以内の期間に100店舗ずつ上乗せしています。チェーンストア経営のパワーとして、一度、業態を支える事業の仕組みを確立すると、全体店舗数の増大と出店数が加速化していくといいます。コメリは事業システムを確立し店舗数を拡大することに成功したと言えます。

【コメリの新店舗出店を支える配送センターの開設】

新規出店の加速度と密接に関連していることに、配送センターの配置戦略もあります。小型店の経営効率化は店舗では極力在庫を持たず、店舗作業の単純化・省力化と店舗面積の有効活用を徹底することにあります。そのための要として配送センターがあり、配送センターから1日で往復できる距離に店舗を集中出店するドミナント地域の形成が必須となってきます。コメリも各地に配送センターを開設し、その周辺地域で出店攻勢をかける戦略を繰り返し実行しています。例えば、1995年郡山流通センターを開設し、その後98年に高崎流通センターを開設。その時期に、群馬・埼玉・千葉・神奈川・東京といった関東圏への出店攻勢が始まっています。また、97年福井流通センターを開設し、2000年には三重流通センターを開設。この時期には福井・滋賀・岐阜・京都・三重など、中部から関西地区へと出店エリアが一段と拡大しています。

大量出店の戦略として、この立地条件でこの規模の店舗を出店すれば「間違いなく」これだけの売上が上がるという店舗投資予測の精度を上げることが、投資リスクの回避につながります。出店経験を積み、店舗投資予測の精度が安定すると、標準化された店舗の反復複製は迅速かつ容易に進めることができるそうです。過去の成功パターンにとらわれないということは成熟産業の視点であり、方向性を模索し成功パターンを構築し繰り返すことは、成長過程にある企業にとっては重要な戦略であるということを感じます。

(参考文献 日本の優秀小売企業の底力)

イズミの地域密着経営

本日はイズミの地域密着型経営の徹底による成功に関して記載します。

イズミは広島に本拠地を置く総合スーパーで、その成長性は非常に高く、日経MJ調査の小売業売上高ランキングでは、1989年度47位(1172億6600万円)→99年度26位(2839億8700万円)→10年度14位(5023億7900万円)という結果です。この数値は地域チェーン・ナンバーワンです。また収益力も総合スーパー業界で最高水準となっており、2011年2月期、売上高営業利益率は3.7%、総資産経常利益率は5.2%です(イオンリテール、イトーヨーカ堂の売上高営業利益率は同期それぞれ1.9%と0.2%、総資産経常利益率は3.0%、0.5%)。

このような結果を出している要因として、イズミが地域密着型の経営を徹底しているためであり、それを実現させているのが『ドミナント戦略の拡張』と『店舗主導型組織運営』の2つの組織能力の発揮によるものです。

【ドミナント戦略の拡張】

もともとイズミは広島を中心に隣接する岡山・山口・愛媛の4県に出店を限定した、瀬戸内ドミナント戦略をとっていました。しかし、1990年代に入り、“バブル経済の崩壊”“大規模小売店舗法による出店規制の緩和”“小売外資の参入機運の高まり”“経営低迷に直面した有力地域チェーンが相次いで大手全国チェーンの傘下に入る”といった厳しい経営環境となり、イズミは生き残りをかけて、中国地方から山陰・四国・九州へと大量出店を断行します。またその際、九州地方の郊外型大型ショッピングセンターは足下商圏が総じて薄かったことから、それまで中国地方で展開していた狭域商圏に対応した店舗から、広域商圏に対応した大規模ショッピングセンターの出店へと転換していきます。この結果、90年代末にかけて3期連続減益という厳しい状況に陥りますが、経営の立て直しを行い、九州という大きな市場を開拓することに成功します。全国的に広域商圏対応のショッピングセンターの開発で先行する企業はありましたが、九州・四国に的を絞って、集中的に展開した企業としてイズミは先駆者でした。

【店舗主導型組織運営】

1993年に就任した山西社長が、本部主導型から店舗主導型への転換を提唱し、店舗が部門別損益管理を軸に利益管理を行う体制に移行しました。売場主任が本部と上司の次長と相談しながら、売上高、販売効率、粗利益率、商品ロス率、経費率の目標数字を立て、品揃え形式や価格の最終決定を行っていき、そのうえで、フィードバックされる日々の業務実績データを分析し、目標数値の管理を行いながら、売場担当者のパートタイマーらと協力し、業務改善を進め、目標達成を目指していきます。これにより売場を支えるパートタイマーも利益のことを考えて業務を行うような体制になっているといいます。なお、パートタイマーが売場主任になれる制度もあり、主任の5人に1人がパートタイマーから昇格した主任だそうです。各店が売場部門をベースに店舗間ベンチマーク活動にも取り組んでいます。各売場部門はベンチマークする店舗の数値を見ながら、今月、自店はどうだったか、なぜ自店は他店と比べて劣っているのか等々、店舗幹部が分析し、業務改善案を検討しています。その結果、社内での店舗間・部門間競争が発生し、本社が黙っていても業務改善案が出てくるようになったといいます。このように店舗による部門別損益管理体制は組織の活性化に大きく貢献しているそうです。

大型ショッピングセンターをある一定のエリア内に限定し出店を行うドミナント戦略と各店舗への権限移譲による活性化は、店舗経営の戦略の一つの成功例として非常に注目できると思われます。また、積極的出店による経営の危機があったからこそ、社内の組織運営を見直し、変革を行っていったという部分は興味深いものがあります。

(参考文献 日本の優秀小売企業の底力)

総合スーパーと食品スーパーの消費者の購買特性

本日は総合スーパー・食品スーパーの消費者の購買特性に関して記載します。

 総合スーパー・食品スーパーの消費者の購買特性を、流通経済研究所が東京・神奈川・千葉・埼玉の1都3県在住の女性消費者を対象として2006年に実施したアンケート結果から見てみます。まず、総合スーパーの利用頻度は「週に2~3日(29.5%)」「週に1日程度(21.9%)」「月に2~3日(14.5%)」、食品スーパーの利用頻度は「週に4~5日(15.5%)」「週に2~3日(40.2%)」「週に1日程度(18.9%)」という回答が多くなっています。続いて来店手段ですが、総合スーパー・食品スーパーともに「徒歩」「自転車」「自動車」での来店をされる方の割合が多くなっています。それぞれの特徴として、総合スーパーでは「自動車(43.7%)」を利用される方が特に多いということ、食品スーパーでは「徒歩(33.8%)」「自転車(32.6%)」で来店される方が多いということが挙げられます。このことから総合スーパーの方が食品スーパーより商圏が広いであろうことが伺えます。商圏の広さについては店舗までの所要時間の結果からも上記と同様のことが伺えます。各々の所要時間は、総合スーパーが「5~10分未満(30.9%)」「10~15分未満(27.7%)」「15~20分未満(17.9%)」、食品スーパーが「5分未満(28.4%)」「5~10分未満(40.1%)」「10~15分未満(20.2%)」となっており、総合スーパーまでの所要時間より食品スーパーの所要時間の方が短いという結果になっています。

 次に、消費者が総合スーパー・食品スーパーを選ぶ際に重視している内容について記載します。総合スーパー・食品スーパーに共通して店舗選択時に重視する事柄として上位にランクされているのは「自宅や勤務先から近い」「駐車場が便利」「全般的に価格が安い」「特売をしている」という項目となっていました。総合スーパー・食品スーパーともに消費者は、店舗へアクセスしやすいこと、価格が安いことを求めているという結果になります。各々での結果を見てみますと、総合スーパーに特徴的なこととして「他の買物と合わせて一度に済ますことが出来る」という項目が2番目に消費者から求められている項目となります。総合スーパーには食品、衣料品、住関連用品のまとめ買い、ワンストップショッピングが強く求められているということになります。またこの点に関連して「通路が広く、買物がしやすい」「店舗のレイアウトが分かりやすく、買物がしやすい」ということも重視項目として挙げられています。通路幅の確保やレイアウトの工夫を行い、消費者がストレスなく買物しやすい売場を作ることが必要だということになります。続いて食品スーパーに特徴的なことは「生鮮食品の味、鮮度、品質がよい」「安全で安心に配慮した商品が多い」といった項目が挙げられており、生鮮食品の品質・品揃えも店舗選択に当たって重要視されているという結果となっています。

 同じスーパーとはいえ、消費者から求められていることは異なる点があるということが伺えます。

 (参考文献 インストア・マーチャンダイジング)

ドラックストアの現状と動線計画

本日はドラッグストアの現状と動線計画の基本に関して記載します。

まず、ドラッグストアが消費者からどのような位置づけで見られているのか、流通経済研究所が東京・神奈川・千葉・埼玉の1都3県在住の女性消費者を対象として2006年に実施したアンケート結果から、考察してみます。まずドラッグストアの利用頻度ですが「週に1日程度(31.2%)」「月に2~3日(34.6%)」という回答が多く、スーパーやコンビニと比較するとその利用頻度は低くなっているということです。これは購買頻度の比較的少ない日用品・化粧品・医薬品などを中心にしているためです。続いてドラッグストアの主利用店までの所要時間に関して。この結果は「5~10分未満(43.4%)」「5分未満(25.1%)」と比較的近場のドラッグストアが選ばれているということがわかります。消費者がドラッグストアを利用するに当たり最も重視する項目としても「自宅や勤務先が近いこと」がトップとなっています。この消費者の重視項目で「自宅や勤務先が近い」ということに次いでランクされているのが「特売をよくしている」「全般に価格が安い」「ポイントカードの特典を受けられる」といった項目となり、消費者が低価格販売を期待しているという結果も表れています。

そもそも、ドラッグストアは医薬品販売で競争が穏やかで値下げの圧力が少なく、高い利益を上げられます。それを原資に食品や日用品を安売りして集客を図ることが出来ます。2001年度に約3兆円だったドラッグストアの業界売上高は2012年度に約6兆円にまで成長しています。2012年度の売上高も増加しているようですが、これは大手チェーンを中心に新規出店が過去最大規模になったこともありますが、それに加え、各社が集客に役立つ食品カテゴリーを充実させたことで、スーパーなどから消費者を奪ったことが要因としてあるようです。

さて、ドラッグストアにおいて買上点数が増えるような動線計画に関して記載します。来店前にその商品を買うことを決めていた者が商品購入者のうちどの程度あるか(計画率)と、その商品を買う者が来店客のうちどの程度あるか(購入率)という視点で見ます。ドラッグストアにおいて、計画率が高く購入率も高い商品には“トイレットペーパー”“シャンプー”“基礎化粧品”“ベビー用おむつ”“生理用品”があります。まずこれらの商品を分散して配置し客動線を伸ばします。そして計画率は低いが購入率が高い、ついで買いを誘えるような商品である“スナック菓子”や“歯ブラシ”を、先ほどの計画率が高く購入率も高い商品と商品の間をつなぐ動線上に配置し、ついで買いを誘発していきます。以上、基本的なドラッグストアにおける動線計画になります。

 成長を遂げているドラッグストアですが、来春からは薬事法改正によって大衆薬の99.8%がインターネットでの販売が可能となります。販売規制に守られて高い利益率を誇ってきた大衆薬にも、今後価格競争の波が襲いかかります。これにより、業界での競争の激化・淘汰が起こってくることも想定できます。今後、生き残りをかけて各社が様々な施策を打ち出してくるだろうと思われます。

 (参考文献 インストアマーチャンダイジング)

コンビニの位置づけと買上点数増加策

本日は消費者から見たコンビニエンスストアの位置づけと買上点数を増やす施策に関して記載します。

 流通経済研究所が東京・神奈川・千葉・埼玉の1都3県在住の女性消費者を対象として2006年に実施したアンケート結果によると、コンビニの利用頻度は最も多いのが「週に1日程度(27.5%)」、次いで「週に2~3日(25.7%)」、「月に2~3日(18.2%)」という回答になっていました。店舗までの来店手段は「徒歩」が約6割。店舗までの所要時間は「5分未満(51.4%)」「5~10分未満(35.7%)」と10分未満がほぼ9割に達しています。普段の生活を思い起こせば当たり前のことではありますが、アンケート結果からコンビニは消費者にとって基本的に自宅や勤務先から歩いていく店だと位置付けられているということがわかります。また、店舗選択時の重視項目の結果を見ると、消費者が最も重視していることが「自宅や勤務先から近い」ということになっており、店舗へのアクセス面を重要視しているということが伺えます。

さて、コンビニにおいて、総買上点数が動線長に比例して増加する傾向があります。来店前にその商品を買うことを決めていた者が商品購入者のうちどの程度あるのかを“計画率”、その商品を買う者が来店客のうちどの程度あるのかを“購入率”とすると、動線長を長くし買上点数を増やすためには、計画率が高く購入率も高い商品を分散配置することが有効的になります。コンビニで計画率が高く購入率も高い商品は日本茶、おにぎり、タバコなどになります。これらはコンビニの来店目的となる商品群となりますので、集客のカギとなるものです。さらに買上点数を増加させるには、計画率が高く購入率も高い商品を陳列している売場の間に、計画率は低いが購入率が高い、ついで買いされるような商品を配置することが重要です。計画率が低く購入率が高い商品としてはファストフードのようなものがあります。米飯類→飲料→レジ、もしくは飲料→レジの動線上にチョコレートなどの菓子、またレジ台にファストフードを配置することによって、総買上点数の増加が見込めます。

 東日本大震災後、コンビニはそれまで以上に身近な存在になりました。そして、今現在もコンビニ各社は出店攻勢をかけています。競争が激しくなる中で、様々な手法を用いて各社が他社との競争に打ち勝とうとしていきますので、いろいろな観点からどのような対策をとっていくのか興味深いものがあります。

 (参考文献 インストア・マーチャンダイジング)

大型店と商店街の施策

本日は大型店と商店街の施策の変遷に関して記載します。

 日本において明治の末から大正にかけて、呉服商が転換した百貨店が次々と誕生していきました。誕生時、百貨店は「今日は帝劇、明日は三越」と言うように高所得者層をターゲットに商売を行っていました。ところが、第一次世界大戦後の不況や私鉄ターミナルに立地する鉄道系企業等の新規参入による競争の激化などの影響により、比較的低価格の品目も扱う大衆化路線をとるようになっていきます。このことは小売業界で圧倒的多数を占めていた中小小売業者の利益を侵すことに繋がります。その流れの中で、顧客を奪われるという危機感を持った商店主から規制を求める声が上がるようになりました。「わが国の小売業問題は、その殆どが百貨店と中小商業者の対立の問題であると言っても過言ではない」という状況の中1937年に百貨店法が国によって制定されました。この法律において百貨店開業の許可制や閉店時間・休業日の規制が設けられたのですが、目的は百貨店の進出に歯止めをかけて中小商店を救済しようとしたものでした。この百貨店法は第二次世界大戦後に廃止されましたが、中小商店の救済という目的は1956年の第二次百貨店法へと引き継がれていきます。

 昭和30年ごろにスーパーの販売方式を導入した店が現れ、その後スーパーが全国に広がっていきました。1968年には百貨店243店舗に対し、スーパーは2632店舗という状況になり、スーパーは大量消費社会の日常的な生活者の欲求を満たす場となっていきます。しかしながら当然、スーパーは最寄品を安価で販売しますので、店舗周辺の小売店・商店街にとって衝撃が大きく、中小小売業者の反発は百貨店の時以上のものでした。その流れの中、1973年に大規模小売店舗法(大店法)が成立します。

1980年代後半、アメリカからの外圧により、大型店への制限は一転し緩和へ向かい、2000年には法律そのものがなくなることになります。現在は1998年に制定された大規模小売店舗立地法が大規模小売店の出店を制限する法律という地位にあります。

 上記のような大型店を規制することによって中小小売業を守る施策があった一方で、中小小売店の近代化、成長を促すような振興政策があります。1964年にスタートした商店街近代化事業というものがあり、それによりアーケード、カラー舗装、駐車場など、商店街の設備が充実していきます。その後、中小小売商業振興法(1973年)、特定商業集積整備法(1991年)、中心市街地活性化法(1998年)、改正中心市街地活性化法(2006年)、地域商店街活性化法(2009年)と振興政策に基づく法律が制定され、それに基づく事業が実施されていきます。

 過去から大型店と中小小売業のせめぎ合いがあり、それに対して国が政策の決定を行い、政策が日本の小売業の形に影響を与えるということがあると言えます。最近でも、薬のネット販売の話もありました。国の政策が小売業に与える影響があることを押さえ、政策の変更を注視していくことが必要だと思われます。

 (参考文献 「なぜ繁栄している商店街は1%しかないのか」「わが国大規模店舗政策の変遷と現状」)