新潟戦争とCGC

本日は新潟戦争とCGCに関して記載します。

2003年。長岡駅前にはイトーヨーカ堂とダイエー、駅から離れたところにジャスコがあり、原信という長岡市を本拠地とするスーパーもありました。そこにスーパーセンター(非食品中心の総合ディスカウントストアと食品スーパーが融合した店舗のこと)のベイシア(群馬県)とPLANT(福井県)、地元のスーパーのウオロクが一斉に長岡市の半径10キロメートル以内に出店。それをきっかけに、かつてないほどの厳しい値下げ競争が始まりました。その競争の激しさは、“豆腐1丁(300~400g)8~18円”“500mlペットボトル飲料69円”“もやし1パック18円”というものでした。新潟戦争ではスーパーで一番利益を確保していた日配品の価格を叩きあったと言います(日配品:工場で生産されて毎日配送され、数日中には消費されるものをいい、牛乳やチーズ、ヨーグルトなどの洋日配、豆腐、漬物、納豆などの和日配がある)。

原信に関しては「日本一のサービスの提供」を目指した企業で、そもそも低価格での販売を武器にするというスタイルではありませんでした。例えば1998年からレジでの商品の袋詰めサービスを続けてきていました。この袋詰めに対する熱意は、レジ係が処理スピードを落とさずに、一人で会計と袋詰めを同時にこなせるように、専用のショッピングカートや買物袋、袋詰め台まで開発するほどのものでした。しかしながら、新潟戦争の勃発で値引き合戦が起こったことで、その渦中に巻き込まれ、1998年当時約4%あった経常利益率は1.5%まで落ち込んでしまいました。

この経験を下に原信は自分の城は自分で守るしかないという発想で自社PBの開発に至ります。2013年に原信とフレッセイ(群馬県)が経営統合し、アクシアルリテイリングが設立されました。両社はともに仕入れ機構CGCのグループの一員で、以前から交流がありました。CGCは全国各地の中小規模の独立したスーパーによって構成される、さまざまな事業活動を協業するために組織されたチェーンで、商品開発・調達、物流システム、情報システム、営業支援の4つをグループ活動の柱としています。そして「商品こそすべて」という事業理念を掲げて、創業当時から一貫して商品開発を重視してきました。代表的な加盟社はラルズ、リオン・ドール、スーパーマルモ、三徳、Olimpic、成城石井、オギノ、カネスエ、マルヤス、フレスタ、西鉄ストアなど、全国220社、売上高は総計4兆円にも及び、PB開発でもメーカーとの交渉においてイオンやセブン&アイにも対抗できる規模を持っています。それでもアクシアルリテイリングとしてはCGCのPBだけでは競争力として十分ではなく、自社PBを強化する必要があると考えているようです。上記の新潟戦争での価格競争や、少子高齢化で商環境が厳しくなる中で、際立った特徴を持った会社以外は、売場面積の広さで競争力が決まってしまうという考え方が基になっているようです。

商品のコモディティ化が進み価格競争に陥った際には、物流機能やPBなどで利益を創出しやすい企業にしたり、自社の強み・特徴を出して差別化を図り、他社との競争に打ち勝っていくことが必要となってきます。新潟戦争を経た原信の動きはそのことの必要性を物語っているように感じます。

(参考文献 「週刊ダイヤモンド2013 12/7」「1からのリテール・マネジメント」)

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