大型店と商店街の施策

本日は大型店と商店街の施策の変遷に関して記載します。

 日本において明治の末から大正にかけて、呉服商が転換した百貨店が次々と誕生していきました。誕生時、百貨店は「今日は帝劇、明日は三越」と言うように高所得者層をターゲットに商売を行っていました。ところが、第一次世界大戦後の不況や私鉄ターミナルに立地する鉄道系企業等の新規参入による競争の激化などの影響により、比較的低価格の品目も扱う大衆化路線をとるようになっていきます。このことは小売業界で圧倒的多数を占めていた中小小売業者の利益を侵すことに繋がります。その流れの中で、顧客を奪われるという危機感を持った商店主から規制を求める声が上がるようになりました。「わが国の小売業問題は、その殆どが百貨店と中小商業者の対立の問題であると言っても過言ではない」という状況の中1937年に百貨店法が国によって制定されました。この法律において百貨店開業の許可制や閉店時間・休業日の規制が設けられたのですが、目的は百貨店の進出に歯止めをかけて中小商店を救済しようとしたものでした。この百貨店法は第二次世界大戦後に廃止されましたが、中小商店の救済という目的は1956年の第二次百貨店法へと引き継がれていきます。

 昭和30年ごろにスーパーの販売方式を導入した店が現れ、その後スーパーが全国に広がっていきました。1968年には百貨店243店舗に対し、スーパーは2632店舗という状況になり、スーパーは大量消費社会の日常的な生活者の欲求を満たす場となっていきます。しかしながら当然、スーパーは最寄品を安価で販売しますので、店舗周辺の小売店・商店街にとって衝撃が大きく、中小小売業者の反発は百貨店の時以上のものでした。その流れの中、1973年に大規模小売店舗法(大店法)が成立します。

1980年代後半、アメリカからの外圧により、大型店への制限は一転し緩和へ向かい、2000年には法律そのものがなくなることになります。現在は1998年に制定された大規模小売店舗立地法が大規模小売店の出店を制限する法律という地位にあります。

 上記のような大型店を規制することによって中小小売業を守る施策があった一方で、中小小売店の近代化、成長を促すような振興政策があります。1964年にスタートした商店街近代化事業というものがあり、それによりアーケード、カラー舗装、駐車場など、商店街の設備が充実していきます。その後、中小小売商業振興法(1973年)、特定商業集積整備法(1991年)、中心市街地活性化法(1998年)、改正中心市街地活性化法(2006年)、地域商店街活性化法(2009年)と振興政策に基づく法律が制定され、それに基づく事業が実施されていきます。

 過去から大型店と中小小売業のせめぎ合いがあり、それに対して国が政策の決定を行い、政策が日本の小売業の形に影響を与えるということがあると言えます。最近でも、薬のネット販売の話もありました。国の政策が小売業に与える影響があることを押さえ、政策の変更を注視していくことが必要だと思われます。

 (参考文献 「なぜ繁栄している商店街は1%しかないのか」「わが国大規模店舗政策の変遷と現状」)

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