非正規従業員 しまむらの事例

本日は非正規従業員に関して記載します.

【増える非正規従業員】

日本においてはパート従業員やアルバイトなど非正規従業員を活用する産業が増加していて、正規従業員を削減する雇用戦略をとる企業が増加しています。役員を除く雇用者に占める正規従業員の割合は1985年には男性92.6%、女性67.9%、男女計83.6%だったのに対し、2004年には男性83.7%、女性48.3%、男女計68.5%と徐々に減ってきています。更に、産業別の非正規従業員の比率で女性に絞ってみると、卸売・小売業における女性の非正規従業員の比率は65.5%と高い数値となっています。そして、スーパーのパート従業員比率を見ると70%前後。スーパーの店舗運営を行っていくうえではパート従業員の存在は欠かせないものとなっています。

【非正規従業員の活力を高める方法:衣料品スーパー「しまむら」の事例】

 衣料品スーパー「しまむら(本社さいたま市)」では、このような時代背景の中、パート従業員が店長にまで昇進できるような仕組みを持っています。まず、しまむらはパート従業員の女性たちに生活とのバランスで無理なく働いてもらえるように、週5日勤務のうち、週3回は開店から閉店まで、週2回は開店から昼過ぎまでを組み合わせた勤務形態を採っています。また、作業マニュアルがしっかりしているため、パート従業員は割り当てられた仕事を素早く無駄なくこなせるようになっています。そしてパート従業員が店舗内の仕事を覚え、様々な部門を担当し、仕事の経験を積むと、やがて店長代理になることができます。そして、さらに数年のキャリアを積むと、今度は正社員として店長にまで昇格することができるのです。

 様々な働き方がある中で、それぞれの立場の人がそれぞれモチベーションをもって仕事ができるようにしていくことが、企業活力を生み出します。今後、女性の活躍が今まで以上に期待される中で、こういった動きを見せる企業はどんどん増えていくだろうと思われます。何はともあれ男女ともに働き甲斐のある会社は底力のある企業になると思います。

 (参考文献 1からのリテール・マネジメント)

FSP:オギノの事例

FSP:オギノの事例に関して記載します。

FSPとはCRMで用いられる手法の一つで、高頻度で自店へ来店される優良顧客に注目して、階層に応じてプロモーションを展開することを言います。この手法を上手に取り入れている企業に山梨県を地盤とする「オギノ」という食品スーパーがあります。

オギノでは、顧客データを分析し、顧客を年代や好み、ライフスタイルなどで分類する“顧客クラスター分析”とその活用をFSPの最重要課題に設定。顧客を「健康志向だがレトルト食品などをよく利用する簡単調理派」「素材にこだわる健康志向派」など約20種類に分類。その分類別に最も適したサービスや特典ポイントを付与し顧客の維持・拡大につなげたり、店舗ごとの販促や品揃えにも活用したりもしています。この顧客クラスターを活用したFSPでは、単純に前にレトルトカレーを買った顧客に、レトルトカレーの割引クーポンを発行するというものではなく、レトルトカレーに加え、レトルトカレーと同じ属性を持っている商品の提案も行っていくものとなります(レトルトカレーを買う人は簡単に料理をしたいという観点から、冷凍ハンバーガーを進める等)。

 上記のように購買歴のない商品までDM等でお客様にお勧めしていくということは、顧客に魅力ある商品を幅広く提案できるだけでなく、PB商品のようにより収益性の高い商品を提案できるというメリットもあります。こういったことを効率よく実行するためにオギノでは全商品に対して、「この商品は手間を短縮したい顧客に向いている」「この商品は健康志向が強い顧客に向いている」など、顧客のライフスタイルを考慮したコードを付けています。これにより、それぞれのクラスターの顧客ニーズに対応する属性を持つ商品をDMに載せることが効率的に行え、FSPの活用のスピードを上げることができます。このような作業は顧客ニーズを分析する情報処理能力と時間・労力を伴う大変な作業となります。しかしFSPの実行をしっかりと行うことでオギノは競争基盤を作り上げているのです。

また、オギノはFSPを活用したDMの精度を高めると同時にコスト削減の目的から「ダイレクトレシート(DR)」という新しい販促手段を開発しました。DRはレシートにDMの内容を告知するものです。事前に分類されている顧客クラスターに基づき、顧客にレジで渡すレシートに同じ属性の商品をポイント付きで印刷するのです。

FSPを導入する小売企業の中には、他社が採用しているからという理由で、活用計画や情報分析能力強化、費用節減への対策が行われないままに、急いで採用し、結果としてFSPが時間の経過とともに経営を圧迫する要因になってしまうということがあるようです。オギノの例でみるようにFSPの活用には手間と時間と情報処理能力が必要になってきます。隣の芝生が青いという理由で導入するものではなく、覚悟を決めて導入する類の物のようです。新しいものは輝いて見えますが、結果的には泥臭い作業も行わなければならず、その作業一つ一つこそが企業を強くしていくものなのかもしれません。

 (参考文献 1からのリテール・マネジメント)

ダイエーと松下電器の「30年戦争」

本日はダイエーと松下電器の「30年戦争」に関して記載します。

1964年の東京オリンピック以降、ダイエーと松下電器は30年戦争と言われる戦いを繰り広げていました。

 戦いの経緯は次なようなものとなります。1950年代、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三種の神器と言われる商品が大ヒットし、1959年には当時の皇太子殿下のご成婚パレードの中継を見るためにテレビの購入者が増えたそうで、その普及率は50%を超えました。ダイエーが家電製品の取り扱いを始めたのは1960年から。それらの販売価格は平均して30~40%ほど他の小売店よりも安く販売されていました。当初、大手メーカーはダイエーのそのような動きを相手にしていませんでした。ところが1964年東京オリンピック後、事態は一転します。東京オリンピック後、日本は不況となり、製品が売れなくなりました。そのような中で安売りをするダイエーの動きは、家電メーカーにとって主要な取引先である個人経営の家電販売店を苦しめることになり、見過ごすことができなくなったのです。松下電器は、ダイエーの安売りを抑えられないようでは取引先との信頼関係にひびが入ると考え、松下電器が指示する定価販売ができなければ出荷停止するという措置を取りました。それに対しダイエーは、大手メーカーの商品が販売できないとなるとお客様に評価されなくなってしまうと、バイヤーが全国を回って現金問屋など松下電器のテレビを売ってくれる業者から仕入れてきました。今後は松下電器が部品のロットナンバーからダイエーに販売した業者を見つけ出し取引をできないようにしました。ダイエーも商品のロットナンバーを消して店頭に並べるといった対抗策をとりましたが、これに対して松下電器は肉眼では見えない特殊な光線で判別できるブラックナンバーを自社製品につけて取引先を見つけ出せるようにするという対策を取りました。このようなイタチごっこの後、1970年にはダイエーが独自の低価格テレビ「ブブ」を販売。今ではPBやSPAと珍しいことではありませんが、当時は小売業であるダイエーが製造段階まで進出したと大きなニュースになったようです。1975年、松下幸之助が中内㓛を京都にある別邸に呼び、「もう覇道はやめて王道を歩むことを考えてはどうか。」と投げかけますが、物別れに終わります。1989年、ダイエーと和解できないまま松下幸之助は逝去。その5年後、1994年、松下電器と取引のあった東京のスーパーマーケット忠実屋をダイエーが吸収合併したのを機に、その取引を継承する形で和解に至りました。

この両者の戦いはカリスマ的な経営者の松下電器創業者「松下幸之助」とダイエー創業者「中内㓛」の考え方の違い・立場の違いがもたらしたものでした。松下幸之助は「水道哲学」と言われ、「水道の蛇口からあふれ出る水がとても安い料金であるのと同じように、自分たちメーカーが大量の製品を安く提供できれば人々を幸せにできる」という考えでした。一方で中内㓛は「小売業が努力して事業規模を拡大し、大手メーカーとの取引を主導できるような状況になれば、店頭で消費者に販売する際の価格をもっと下げることができる。そうすれば、多くの消費者が製品を安く購入することができ、節約したお金でさらにほかの製品やサービスを手に入れ、国民生活が向上する」という考え方でした。

 価格設定は利益率に影響する重要な戦略の一つです。この30年戦争、メーカー側の戦略・小売側の戦略ともに良い商品を安く消費者に提供するという考え方であったにもかかわらず、長い間和解に至ることができなかった出来事です。考えるに、ダイエー側としては安売りで回転率を上げ、利益を得るという立ち位置だったのに対し、松下電器としては、そこまでの安売りは自社の利益を目減りさせブランド価値を下げると判断したのではないかと思います。また、この戦いは川上と川下の壮絶な勢力争いだったのではないかとも感じました。

 (参考文献 1からのリテール・マネジメント)