「百貨店:現在の流れに至る、婦人服販売の転換点」に関して記載します。
1970年代から「ミッシーカジュアル」という市場が登場しました。これが現在の百貨店の婦人服の流れを作っていったようです。そもそも、ミッシーとはミスのような若々しいミセスという意味となります。ミッシーカジュアル登場前の婦人服はスーツかワンピースであり、それも既製服はわずか。プレタポルテとイージーオーダーが全盛でした。それに対してミッシーカジュアルは、スーツやワンピースのような単品の販売ではなく、シャツやボトム、カーディガンなど単品を組み合わせて着こなしを提案する販売方法を使うもので、複数の商品の買上げを意図するコーディネイト販売をするものとなります。それが当時新鮮な概念だったようです。ミッシーカジュアルの登場により、それまで大手百貨店の紳士服と婦人服の売上はほぼ均一でしたが、婦人服関連商品に圧倒的なウエイトが置かれるようになったようです。
このミッシーカジュアル登場前から百貨店は欧米のファッション動向から必ず日本でも既製服主流の時代が来ることを見通していて、海外高級ブランドの導入を図っていました。例えば、大丸が1953年10月にクリスチャン・ディオールと独占契約をしたり、59年に高島屋がフランスのデザイナー、ピエール・カルダンと提携をしたりしています。そういった流れの中で60年代後半から70年代にかけて「既製服化率」が急上昇し、アパレル消費が急速に拡大することとなります。
アパレル業界から大手百貨店に登場したミッシーカジュアルは次のようなものがあります。まず、東京スタイルは1971年に伊勢丹向けに「マイルド」、三越に「エバン・ピコン」をストアブランドとして提供。また、西武百貨店、小田急百貨店に「レポルテ」をNBとしてスタート。樫山も伊勢丹をメイン売場に「アミエル」を立ち上げ、その後「ジェーンモア」もスタート。レナウンは「アデンダ」、三陽商会は「バンベール」をスタートさせます。このような流れの中で、1971年から80年までのほぼ10年をかけて、各アパレルメーカーのミッシーカジュアルの売上は年商100億円規模の基幹ブランドへと成長していきます。80年度の販売実績を見るとアデンダが107億円、レポルテ(「エバン・ピコン」「マイルド」含む)が97億円、バンベールが95億円、ジェーンモアが70億円といった数字です。これらアパレル業界の基幹ブランドが百貨店の婦人服の売上を押し上げることにもなったのです。
上記から、既製服がこれだけ当たり前になってからそれほど時間が経っていない、ということも言えます。欧米の流れを見て既製服の時代が来ることを察知し、そして、1970年代からコーディネイト販売という大きな流れができあがっていったようです。日頃から当たり前だと思ってしまうようなことでも、時代の流れの中で作られたものだということがわかります。
(参考文献 現代アパレル産業の展開)