ダイエーの没落

本日はダイエーの没落に関して記載します。

【ダイエーの発展】

高度経済成長の中で人々が地方から大都市へ集まってくるのとともに、ダイエーは成長を果たしていきます。ダイエーのビジネスモデルの基本は『不動産の購入による成長』というものでした。そのビジネスモデルの流れとしては、住宅が増えていく地域に借金をして不動産を購入して店を建てる→その地域に人々が集まり、店舗に多くの顧客が集客でき、不動産の価値が上がる→価値の上がった不動産を担保に金融機関から更に借り入れをする→集めた資金を元手に新たな不動産へ再投資する、といったものでした。

ダイエーの不動産ビジネスは1980年代後半のバブルのころに、さらに加速。積極的な企業買収を行うようになります。銀座のリッカービル、リクルート、ハワイ最大のアラモアナショッピングセンターなどを次々に買収。同社の負債は増えていきますが、それ以上のスピードで同社の資産額は増え、小売業としての売上も拡大していきました。

【イトーヨーカ堂とダイエー ビジネスモデルの違いによる成長スピードの違い】

ダイエーの不動産を購入することにより売上を拡大していくビジネスモデルの成長スピードの速さは、イトーヨーカ堂と比較するとその速さがわかります。イトーヨーカ堂の創業は1958年。それに対しダイエーは、その前進である大栄薬品工業を1957年に設立しています。両社の創業した時期はそれほど変わりません。ところが、ダイエーが三越百貨店を抜いて日本一の売上規模になった1972年、イトーヨーカ堂はトップ10にも入っていませんでした。不動産の価値上昇を織り込んだ成長戦略は、当時の時代背景からいうと、それだけ競合から優位に立てる戦略だったと言えそうです。

【ダイエーの没落】

ところが、バブルが崩壊し資産価値の暴落が始まると、ダイエーの強さを支えてきた不動産購入による成長戦略が裏目に出ることとなります。巨額の負債を抱え続ける一方で、同社が保有する資産価値は急速に縮小していきます。こうした中で、銀行もダイエーに融資を続けることが困難となってきます。この状況に対して、ダイエーはアラモアナショッピングセンターやリクルートなどの資産を売却し借金返済をしていくこととなりますが、結局、産業活力再生特別措置法の下で事業再生するまでに追い詰められてしまいます。そして今ではイオングループの傘下となっています。それまで強みであった戦略が経済・社会環境の変化で一転して足かせとなってしまったのです。

バブル崩壊によりダイエーだけでなく、マイカル、そごう、長崎屋などの企業が凋落していくこととなりました。一気に成長路線に入るときには、何らかの手法によって資金を集め、投資に回すことが必要です。ダイエーの戦略はその点では正しかったようにも思われます。ただ、経済・社会の変化の先を読み間違えたために、そのような事態に陥ったのでしょう。バブル崩壊に伴う多くの企業の凋落は、経済・社会環境を理解し、出来うる限り先を読めるようにしておくことの必要性を表しているようにも感じられます。

(参考文献 「流通大変動 現場から見えてくる日本経済」)

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