プライベートブランド(PB)の歴史

本日はプライベートブランド(PB)の歴史について記載します。

最近、イオンのトップバリュのCMをよく目にします。PBは少し前まで安いモノというイメージでしたが、このイメージが変わってきているようです。そこで、PBの歴史について以下見てみます。

【PBの誕生】

日本でのPBの歴史は1959年に大丸が「TOROJAN(トロージャン)」というブランドのスーツを売り出したことに始まります。価格は1万3000円。低価格を武器にして勝負をしていくというものではありませんでした。低価格を武器とした商品としては、その翌年にダイエーが「ダイエーみかん」というみかんの缶詰を販売しています。これは缶詰自体にダイエーと入ってないノーブランド製品でした。ダイエーはこの後、1961年にダイエー社史の中で最初のPBとして紹介されているインスタントコーヒーを販売。翌62年に東洋紡と共同で「TOYOBOブルーマウンテンカッターシャツ」、食品分野で中小メーカーと組んで「ダイエー粉末ジュース」「ダイエー・マーガリン」「ダイエー・ラーメン」など販売。65年には日清製粉に依頼し、小麦粉の「ビーナー」を発売しました。こうして日本にPBが登場します。しかしながら、日本は高度成長期にあり、メーカーがモノを作れば飛ぶように売れた時代であったため、メーカー側からすると小売側に価格決定権を渡さなければならないPBを作る必要はありませんでしたし、小売側からしても手間をかけてPBを開発する必要はありませんでした。その様な中でダイエー創業者の中内功だけが、価格は消費者が決めるべきだという信念の下、PB作りを邁進していきます。

【第1次PBブーム】

1973年第4次中東戦争を受け、第1次オイルショックが起こります。これにより74年1年間で日本の消費者物価は23%も上がってしまいました。このインフレにより消費者は生活防衛のため低価格の商品を求めるようになります。そして、そのことが第1次PBブームを巻き起こすこととなります。74年にジャスコ(現イオン)は、日清食品がそれまで100円だったカップヌードルの価格を130円に値上げし、それを一方的に小売側に通告したことに対して抗議し取引を打ち切り、「Jカップ(カップ麺)」というイオン初のPBを88円で販売。80年には西友が無印良品を販売。ダイエー以外の他のチェーンストアもPB販売に踏み切っていきます。またダイエーは更にPBを充実させていき、80年に「セービング」を販売しています。

【第1次PBブームの終焉と第2次PBブームの到来】

第1次PBブームでのPBは価格上昇に対抗して作られたもので、価格訴求が主眼に置かれ品質が二の次になっていました。2度のオイルショックを受けて物価が落ち着くとPBに消費者は目を向けなくなり、バブル経済が始まると第1次PBブームは幕を閉じることとなります。

しかし、バブルが1991年崩壊すると消費者の財布の紐が固くなると同時に、急激な円高が進んでいきます。こうした状況下で円高による輸入価格の下落を利用して、ダイエーは再びPBの販売を強化していきます。また、94年にはイオンのトップバリュー(現トップバリュ)の販売がスタートしました。第2次PBブームは円高から円安に振れ、色あせていきます。

【現在の流れに至る、第3次PBブーム】

2007年頃からサブプライム・ローン問題が表面化し、2008年リーマンショックにより、日本の景気が悪化していきます。この状況下でトップバリュが売上を一気に伸ばします。その勢いは強く、08年は売上が対前年比40%増で3687億円、09年は同20%増で4424億円という結果でした。そこにセブン&アイのセブンプレミアムが加わり、現在の流れになってきています。

低価格が押しであったPBという形から、価値の高いPBという形へと時代とともに変わってきたことが伺えます。今の第3次PBブームは今までのブームと異なり、一過性に終わらず、日本の市場に定着しているという話もあります。PBで様々な価格帯のブランドを立ち上げているということも見られるようになってきています。長い不況を経て日本の小売市場が変化してきていることがPBの歴史を見ても伺うことができます。

(参考文献 月刊BOSS 2014年3月号臨時増刊号)

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