コンビニの立地選択と立地適応

本日はコンビニの立地選択と立地適応に関して記載します。

【なぜ、同じチェーンのコンビニがすぐ近所に立地するのか?〈立地選択〉】

同じチェーンのコンビニが50メートルくらいしか離れていない場所に出店していることがあります(新宿や池袋といった繁華街でこのケースが見られると思います)。そもそも、コンビニが出店する際には、ある地域に集中的に出店することによって配送コストを下げたりすることを狙ったドミナント戦略を採っているのですが、その出店戦略は徒歩5分圏程度の商圏設定であり、300~500mで1軒立地させるのが理想となっています。よって、50m程度の間隔での出店は近すぎるため、既存店の売上を減らすという弊害が生じてしまうことになります。それでも実際はそのような出店が行われていることがあるのです。

上記のようなことは特定のエリアでシェアの奪い合いをしている場合に起こります。新規物件が出た場合、例えばAチェーンの既存店から50mしか離れていなかったとします。本来であれば既存店の売上を奪うその場所にAチェーンが出店することはないのですが、競合Bチェーンにその場所を奪われてしまうと、Aチェーンの既存店の売上が奪われてしまいます。その様なことをさせないために、とりあえずAチェーンがその新規物件を押さえてしまうということがあるのです。Aチェーンにしてみれば、1店舗当たりの売上は下がりますが、売上総額は減らないからです。

1店舗当たりで見るとデメリットがあっても、チェーン全体で見ると必要な立地選択であることから、このような出店が行われるのです。

【コンビニの既存店の売上を伸ばすための戦略(立地適応)】

コンビニなどのチェーン企業は、全国で同じ規格の店舗・品揃え・サービスをすることで、全体のコストを下げて効率的に運営することを志向しますが、コンビニにおいては出店競争が激しく既存店の売上が減っていて、その売上の維持が求められています。そこで立地場所に合わせた対応がなされるようになってきました。具体的には、オフィス街、駅前、単身者が多い住宅街、ファミリーが多い住宅街、といった商圏の特性に合わせて品揃えの内容を変えていくということを行っています。サークルKサンクスでは2005年に「住宅地」「工業地住宅」「ロードサイド」「繁華街・オフィス」「駅前」という5つの立地タイプに応じた売場づくりや品揃えを進めています。また、セブン-イレブンでは2006年秋に店舗の立地条件や周辺の施設条件データと商品販売との関係が分析できる第六次総合情報システムを整備しています。このように立地した商圏の特性に合わせて品揃えを適応させていくことで、コンビニは既存店の売上を維持していく策を取っているのです。

【コンビニ以外の立地適応】

話しは逸れますが、立地に適応した品揃えはコンビニ以外でもとられています。

・ライトオン:20種類の品揃えタイプを用意。立地特性別に選択。

・モスバーガー:2008年5月から都市立地の店舗で限定メニューを導入。

・はなの舞:各地域の食材や嗜好を反映した地域別の8種類のメニュー構成。

(甲府駅に「風林火山 はなの舞」があったり、京都に「京都 花の舞」があったりします。そして西新宿にはなぜか「龍馬 はなの舞」があります。)

・ポムの樹:本部が200種類以上のオムライス・メニューを用意。各店舗に立地や客層に合わせた数十種類のメニューの組み合わせを自由に選択させる。

店舗を構える場合、立地を選ぶことがまず重要ですが、環境変化によって立地した場所が当初目論んでいたような効果を発揮しなくなる可能性もあるので、状況に応じた変化が必要になってきます。変化し前進していく力は大切なことなのでしょう。

(参考文献 立地ウォーズ)

立地に適応した施策「地域別価格制」に関して

本日は立地に適応した施策「地域別価格制」に関して記載します。

【立地する場所によってマクドナルドで売っている商品は値段が変わる】

2007年6月に日本マクドナルド社は都道府県ごとに商品価格に差をつける「地域別価格制」を導入しました。この時の価格差を例えばビッグマックで見てみます。

『東京・神奈川・京都・大阪では、単品290円、セット(ビッグマック+ポテト、ドリンク)640円』

『埼玉・千葉・愛知・兵庫・広島では、単品290円、ただしセットでは620円』

『福島・山形・鳥取・島根では、単品が260円、セットが560円』

という価格設定です。

この導入時、ビッグマックセットの価格差は最大80円です。導入1か月経ってからの状況を日本マクドナルドのCEOは「値上げした地域で安い商品に消費が移るという現象は起きておらず、クレームも少ない」と語っていました。ほぼ問題なしということです。

このマクドナルドの動きに追随するように、その後、カレーチェーンの「壱番屋」でも採用され、2007年秋には「ローソン」や「吉野家」でも地域別価格制の導入が検討されることとなります。

(マクドナルドの地域別価格制は2012年にはビッグマックセットの価格差は40円まで縮小。また、2013年9月13日からは“立地”をベースとした新しい価格設定を導入しています。)

【地域別価格制、その導入の理由】

外食チェーンでは家賃と人件費(アルバイト経費)が経営コスト(固定費)の大きな部分を占めていることから、各店舗でコストに差が生じます。都心の方が家賃も人件費も高いので、これは避けられない話です。ですので、地域別価格制を導入する前は、全国一律の販売価格であるため、各店舗で利益率にバラツキが生じていました。この点について、当時のマクドナルの本部としては、店舗間で利益差はあるけれど、店舗全体で利益を平均化すれば良いという考え方でした。

ところが、1990年代の消費不況後、マクドナルドは全店舗一律に大幅な値下げをしたために、利益率が低下してしまいます。それに合わせて大都市部で家賃や人件費の上昇がみられ、店舗のコスト差が大きくなっていきました。その結果、一律価格での販売が企業収益を圧迫するようになり、企業の持続的な成長を目的として、地域別価格制が導入されるに至ったのです。

外食チェーンや小売店の場合、いったん店舗を立地してしまうと、その後、店舗を移転するのに大きなコストがかかってしまいます。ですので、その立地場所の状況に応じて変化していくことも求められます。地域別価格制はその“立地に適応する”一つの例です。

同じ日本で同じ商品なのに価格が違うというのは一見不思議ですが、土地の価格などを考えれば普通のことで、発想の転換といったところなのでしょうか。

(参考文献 立地ウォーズ)

チャネル

本日はチャネルに関して記載します。

【数多くの卸売業を通した方が新鮮?】

メーカーで商品が作られ小売店で販売されるまでには、何らかの経路をたどります。メーカーで作られた商品が小売店に卸されることもあれば、中間に卸売業者を通じて小売業に卸される場合もあります。この“生産者から小売業者へと製品を届ける販売経路”のことをチャネルと言います。

このチャネルにはゼロ段階~3段階以上まで様々な長さがあります(ゼロ段階→直販。1段階→メーカーと小売業者。2段階→1段階の間に卸業者が介在。3段階→1段階の間に卸業者、二次卸業者が介在)。

卸売業者の重要な役割は、大量の段ボールの山をさばき、小分けして小売業者に配送することにあります。例えば、メーカーへ100ダースの卵のケースを注文し、それを20の小売業者に5ダースずつ販売するという具合です。小規模の店舗がいきなり100ダースの卵のケースを買ったとしても売りさばけないでしょう。パパママストアのような過去からある小売システムにおいては、小売店舗は小規模で小売業者が一度に仕入れる量は少ないです。発注単位が小さくなればチャネルも長くなっていきます。

また、製品の特徴によってもチャネルの長さは変わってきます。もし製品が傷みにくければ、一度に大量仕入れをして貯蔵しておくことが可能です。よって、チャネルは短くなります。一方で、製品が傷みやすいものほど、チャネルが長くなっていきます。一見、短いチャネルの方が傷みやすい商品を迅速に顧客に届けられそうな気がしますが、これはバケツリレーの原理と同様で、長いチャネルの方が速く届けられるのです。

鮮魚の流通は食料品販売の中でも最も長いチャネルの一つと言います。魚は新鮮でなければならないため、品質を維持するのに1日2回か、少なくとも1回の配送が求められます。

チャネルが短ければ良いというものではなく、状況に応じた対応となっているということです。

【チャネルの幅】

チャネルには先に記載した長さに加え、幅があります。「どのチャネルの幅を選択するか?」は流通政策の一つとなります。

・開放的流通政策

これは自社製品の販売先を限定しないで、広範囲にわたって開放的に製品を流通させる政策となります。一気にシェアを拡大できるというメリットがある一方、販売管理が複雑になるというデメリットがあります(商品クレームが出たときに、小売業者が、どのメーカーで作ったものか探すのが大変、といった感じでしょうか)。また、同じ製品を流通業者間で販売競争させることになりますので、価格の下落や、ブランド力の低下・製品のイメージダウンにつながる可能性があります。この政策は消耗品のような薄利多売に向いている政策です。

・選択的流通政策

これは取引先との関係の中で、販売力・資金力・協力度・競合製品の取り扱い状況といったことを踏まえて、流通チャネルを選定する政策となります。開放的流通政策に比べるとシェア拡大のスピードは遅くなります。

・排他的流通政策

特定の地域や製品の販売先に独占販売権を与える政策で、このような販売先は代理店・特約店と呼ばれます。メーカーがチャネルをコントロールしやすく、価格競争に巻き込まれにくいというメリットがあります。一方でメーカーがチャネルの維持をするためのコストが大きくなるというデメリットがあります。

チャネルは長ければ長いほど商品の価格も高くなり、短い方が良いという先入観がありますが、バケツリレーのように、長いことは長いなりにメリットがあるということがわかります。短絡的に考えることの危険性を垣間見ることができます。

(参考文献 変わる世界の小売業)

マクドナルドの日本オープンに関して

本日はマクドナルド、日本オープン時の話について記載します。

【1971年 銀座三越にマクドナルド1号店オープン】

日本で最初にマクドナルドのフランチャイズを運営した藤田田はもともと輸入業を営んでいました。輸入していた内容は女性用のアクセサリー等でしたが、輸入業を営む中で、藤田はマクドナルド社が国際化に関心を持っていることを知ります。当時、マクドナルド社の基本的な方針は、個人に限り1店舗のみフランチャイズ権を認めるものでしたが、藤田はマクドナルド社に対して“日本で複数のフランチャイズ店を出店すること”と“店舗運営において自由裁量権を認めること”を説得します。

また、マクドナルド社のアナリストがアメリカでの成功例を挙げ、日本でも郊外に出店することをすすめていましたが、藤田はそのアドバイスには従わず、銀座三越にオープンすることにします。銀座三越は藤田が取り扱っていた女性用のアクセサリーを購入していた顧客であったことから、そのコネが利用できたのです。

銀座三越での店舗スペースは通常のマクドナルドの1/5でしたが、藤田はキッチンをコンパクトに設定し、座席の代わりにカウンターを用意しました。その様な店舗スペースになった理由は、三越が顧客に不便さを感じさせるような、店の改装を望まなかったためです。

三越の定休日は月曜日なので、藤田は日曜日の午後6時から火曜日の午前9時までという、39時間の間に店舗の改装をしなければなりませんでした(通常のマクドナルドの店舗の建築には3ヶ月かかる)。このミッションをクリアするために、藤田は東京郊外にある倉庫で、作業員たちに39時間以内で店舗を組み立てられることができるようにするため、練習をさせます。これにより短時間での店舗建設に成功。そして、銀座三越のマクドナルド1号店の売上も上々で、開店から1ヶ月で4000万円の売上を上げ、開店時の開店費用の3000万円を回収することができました。

藤田は第1号店をオープンした3日後、新宿に次の店をオープン。更にその翌日に第3号店をオープン。全ての店舗が大成功を収め、18か月後には日本全国に19店舗のマクドナルドを持つこととなります。

【マクドナルド 多様な国にランダムに拡張するフランチャイズ】

当時、マクドナルド社は日本への店舗展開には興味がなかったと言います。藤田田がマクドナルド社を説得したことで、日本への参入が決定したのです。

マクドナルドはフランチャイズを採用しているわけですが、そもそも、フランチャイズとは“ある企業名の下でビジネスを遂行する権利”のことを言います。そしてフランチャイズには「ダイレクト」と「マスター」2つの類型があり、ダイレクト・フランチャイズは個別店舗のオーナーに与えられるもので、マスター・フランチャイズは、フランチャイズ権が与えられた個人が特定の地域や国で一括して店舗展開が行える権利を持つという制度となります。藤田田は後者の方となるわけです。

マスター・フランチャイザーにとっては、どの国に参入するのが最善であるのかを見分けるよりも、藤田田のような、フランチャイズのネットワークを拡大できる人物を識別することの方が重要となります。ですので、マスター・フランチャイザーでの拡張パターンは、文化的に近い国から順次参入していくというものではなく、多様な国へランダムに拡張していくパターンとなるのです。

【消費者に受け入れてもらうための日本流アレンジとマクドナルド参入による消費スタイルの変化】

藤田田はファストフードというコンセプトを最も受け入れやすい層は若者だと確信し、広告の焦点を子どもと若い家族に向けて絞り込みました。藤田は「日本の年配世代の食習慣はとても保守的である。しかし、子ども達には、ハンバーガーは美味しいものだと学習させることができると思った」と語っています。

また、藤田は日本マクドナルドの成功に向け、マーケティング戦略に自分なりの修正を加えました。例えば、「McDonald」という名前が日本人には発音しにくいと考えて「マクドナルド」に変え、シンボルの「Ronald McDonald」も「ドナルド・マクドナルド」とアレンジしました。このように、日本の消費者が適応するように、マクドナルド社のものをそのまま使用するのではなく、修正を加えたのです。

マクドナルドの日本参入は日本人の消費スタイルを変えていくことともなりました。従来までは弁当を購入していた日本の若者が、ファストフードを選ぶようになっていったのです。

海外から企業が市場へ参入してきた際、その国の消費スタイルに合わずに撤退していくこともあれば、その国の消費スタイルが変化していくことがあります。マクドナルドは後者だということが言えます。

マクドナルド1号店が銀座三越ということを知らなかったので、「百貨店にファストフード」という、そのギャップには驚きました。

(参考文献 変わる世界の小売業)

アメリカの小売業

【アメリカ小売業の歴史】

南北戦争(1861~1865年)後、機械が手工業に代わり、大企業が成長していきました。それに伴い、1870~1916年の間に2500万人以上の移民がアメリカに流入し、移民と自然増を合わせて、人口が4000万人から1億人へと倍以上となりました。この人口増により、製品に巨大な市場を与え、労働者に職を与え、アメリカの経済は発展していきます。

また、1800年代末に鉄道システムがアメリカ大陸を貫いたことも重要な出来事でした。鉄道は1850年の約14,500キロメートルから1900年の約32万キロメートルに増加。列車が消費者を都市内へと集める役割を果たします。それにより、発展する都市部に巨大な百貨店が出現。シカゴのマーシャルフィールド、ニューヨークのR・H・メイシー、フィラデルフィアのジョン・ワナメーカーが百貨店の成長をリードしていきます。

なお、最初の大規模店舗である百貨店の発展を可能にしたものは産業革命でした。大量生産による商品は、手工業のような品質のばらつきがなく、製品が規格化され同一のものとなり、定価を設定することが可能になったのです。

さらに20世紀初頭、自動車の大量生産がもう一つの重要な変化をもたらします。個人で使える輸送手段を得たことによって、多くの家族が郊外に住み始めました。それに合わせて、小売業は郊外に位置するショッピングモールを作り始め、この人口の移動を追っていくこととなりました。

【アメリカで生まれたセルフサービス】

セルフサービスというコンセプトは、アメリカのスーパーマーケット業界で発生しました。このセルフサービスは「包装」「ショッピングカート」「自動車」という補足物が有効なものとしていきました。まず包装ですが、対面販売の際には手渡ししてしまえば包装は必要ありませんでしたが、顧客が自分で商品を選ぶため商品を保護する包装が必要になったのです。また、ショッピングカートは顧客が買い物かごより持てる商品量を増やしました。そして自動車は近隣のパパママストアからスーパーマーケットへ顧客を奪っていくことができたのです。セルフサービスの導入時における特徴として、店員に頼ることなく商品を自由に選べるということがありました。この点は比較的先進的な国でセルフサービスがローコスト、安売り戦略の一部とみなされているイメージと異なります。

【アメリカの小売業が他の国の小売業と異なる点】

まずアメリカの小売業が他の国の小売業と異なる特徴として挙げられることに、“政府の規制がほとんどない”ということが挙げられます。国によっては、店の営業時間を規制している国もあれば、大規模小売店舗を開業することが難しい国もあります。また、雇用に関してもヨーロッパでは不要になった従業員を解雇することは難しいのですが、アメリカでは、その点、規制されていません。

また、強力な製造業者による“ナショナル・ブランドの存在”が挙げられます。ディスカウントストアを営んでいる場合、自分の店がディスカウントストアだと消費者から認めてもらうためには、同じ商品で価格を比較してもらわなければなりません。消費者にとっては、よく知らないメーカーのものではなく、ブランドがついた商品だけが比較可能な尺度となります。アメリカには、ほとんどの商品カテゴリーでよく知られているナショナル・ブランドがあるため、消費者に価格を比較してもらうことが可能となります。

3番目に“短いチャネル”ということが挙げられます。アメリカの小売業者は大規模な全国チェーンが多数あることから、総じて製造業者から直接商品を仕入れています。卸売業者の役割は、製造業者から購入する場合にある程度のロット数で購入しなければならないところ、値段は少し高いものの小ロットで商品を購入することができることです。大規模なチェーン展開が小ロットで商品を買う必要性をなくし、チャネル段階数を減らしているということでしょう。

4番目にアメリカの小売業者のバイヤーの役割です。アメリカでは多くの会社で「仕入れの役割」と「販売の役割」が完全に分離されています。バイヤーが販売部門を訪れてもそれは販売するためではなく、情報を得るためです。アメリカのバイヤーは供給者の製品ラインの品目を個々に調べ、個人の消費者と同じように、品目ごとに「イエス」「ノー」で購入の可否を決定しているのです。このようにバイヤーが自立した存在であることは他の国ではなく、アメリカでの特徴となります。

アメリカの小売業というとスタンダード的なイメージがありますが、その在り方には独特なものがあるようです。様々な国において、歴史や文化が絡まって、その国ならではの小売システムが作り上げられているということでしょう。 (参考文献 変わる世界の小売業)

中国の小売業

本日は中国の小売業に関して記載します。

【中国市場】

中国は14億人規模の人口を有し、人口100万人を超える都市が30以上、50万人を超える都市が40以上あり、小売市場としては魅力的な場所となっています。また、農村部から都市部への人口移動が起こっているようで、住民一人あたりの所得の伸び率が1994年の59%から2004年に66%に伸びたのに対し、農村部では41%から34%へと減少しています。小売業者にとって都市部は魅力的な市場となっているのです。

【外資参入に伴う市場の変化】

1999年時点で中国におけるハイパーマーケットの数は100店舗以下でしたが、それ以降、爆発的に増加していきます。多くの地元企業もハイパーマーケットを展開しましたが、ウォルマートやカルフールなどのような外資系の小売業者には対抗できず、その多くが閉鎖に追い込まれ、ハイパーマーケットの分野では外資系同志の戦いがなされることとなりました。

また、2004年にはWTO加盟に伴う公約を果たすため小売業に対する規制が大幅に緩和され、外資による100%の投資が可能となりました。それにより、メトロは所有権を従来の40%から90%に、ウォルマートが65%に、カルフールが50~60%に引き上げていきます。そして、スーパーマーケット、ハイパーマーケット、コンビニエンスストア業界で競争が激しくなっていきます。それにより地元のスーパーマーケットは強力な外資系小売業と競争するために、より効率的な経営が求められることとなったのです。

一方で、地元の小売業者は立地確保や情報入手などにおいて、政府から優遇を受け、事業展開を進める上で有利になっているそうです。ある現地調査によると、地元の小売業者の売場1平方メートル当たりの売上は外資系の小売業者より70%も高いという結果が出ているそうです。また、政府は外資系の小売業者に対抗できるように、元国有企業の吸収合併を通じた大規模化も進めていると言います。

外資企業が参入し経済発展が促されるのと同時に、政府が自国の小売業を保護しているということでしょう。

【不動産賃貸料の高騰に伴う影響】

不動産の賃貸料の高騰による小売業に対する影響が大きいようです。以前、多くの国有企業は極めて低い賃貸料で有利な立地を閉めていました。しかし、こうした物件の多くも、契約更新を契機として、通常の料金水準に引き上げられました。このことは、企業の収益に大きな打撃を与えています。

また、既存店が契約を更新する場合、賃借料がそれまでの倍に引き上げられます。このような状況だと、利益を予測することが非常に難しくなります。

かつて小売業者は土地を賃借して最小限の投資で急速に成長する戦略を描いていました。ところが、良い立地が少なくなって賃借料も急騰するにつれて、小売業者が土地を購入するようになりました。その流れの中、土地を購入することによる企業の収益の低下に加え、熾烈な他社との競合により、体力の限界に達した小売チェーンが競争力のある企業の買収の標的となっていきました。

【中国の百貨店】

中国で百貨店が誕生したのは19世紀末で、最も伝統的な小売業態です。百貨店は華僑によって始められ、現在、成功しているものも華僑系の百貨店です。百盛はマレーシア系の企業で、トレンド商品を求める中高所得層をターゲットにした、中国最大の百貨店です。太平洋百貨は台湾系の遠東グループの傘下企業で、最も早い時期に中国に進出した百貨店の一つです。

その他、国有企業百聯の傘下にある第一百貨や、北京における地元の大手百貨店であり、16社の完全子会社を持つ王府井百貨があります。また、最近だと2013年10月に仏百貨店のギャラリー・ラファイエットが上海に出店する動きがあります。

急速に発展してきた中国市場は小売業者にとってみても魅力的に映ります。確かに、少子高齢化が始まるまで、市場は魅力的なものだと思います。一方でカントリーリスクがあったり、自由で開放的ではなかったりという部分もあります。全てにおいてそうなのでしょうが総合的に見てどうなのか判断することが必要なのでしょう。

(参考文献 変わる世界の小売業)

イギリスの小売業

本日はイギリスの小売業に関して記載します。

【イギリス食品業界の価格競争】

イギリスの食品小売業は「テスコ」「アズダ」「セインズベリー」「Wm.モリソン・スーパーマーケット」4社による寡占的な市場状況となっていますが、各社による競争は非常に厳しく、小売業者は“価格の引き下げ”“プロモーション”“安売り”という環境の中で事業を行っています。

テスコは小売業売上高世界第3位(2010年度)の企業であり、事業開始時はスーパーマーケット業者として事業を始め、最近ではコンビニエンスストア部門の発展と非食品部門への移行にも力を入れています。また国外市場への急速な拡大する成長戦略を採っています。アズダはイギリスで2番目に大きい食品小売業であり、1991年に新たに着任したCEOによる、ウォルマートのEDLPや価格の引き下げなどを模倣する戦略で成長。1999年にはウォルマートに買収されています。

ウォルマートがアズダ買収を買収したことにより、イギリスの食品小売業界では価格中心の競争が行われるようになり、物価が下がったと言います。つまり、業界にウォルマートが参入したことにより、各社による価格競争が始まり、その結果、値引き合戦が繰り広げられることとなったのです。本来、価格競争を仕掛けるのは規模的・体力的に優位な立場にある上位の企業です。しかしながらイギリスの場合、上位企業のテスコが価格競争を仕掛けたのではなく、下位企業のアズダから仕掛けました。アズダは世界一の売上規模を誇るウォルマートの後ろ盾があったからこそ、値引き合戦を仕掛けることが出来たのです。この下位企業から値引き合戦を仕掛けるのは珍しいパターンのようです。

【イギリスのプライベート・ブランド】

イギリスは、ヨーロッパにおいて最大のPB市場で、ヨーロッパ市場におけるPB売上の4割を占めています。また、PB市場では高級化が進んでいて、例えば、テスコの「ファイネスト(Finest)」やセインズベリーの「テイスト・ザ・ディファレンス(Taste the Difference)」などは、イギリスの多くのトップブランドと並ぶものとして認められています。

併せて、多くのメーカーが特定のスーパーマーケットと提携することに価値を見出しています。例えば、P&Gは「フィジーク(Physique)」というブランドをテスコで独占的に流通させていますが、テスコがこのブランドを店内及び消費者向け小冊子で宣伝したおかげで、P&Gは広告費や販促費の経費削減を行うことができたという事例があります。

【イギリスの百貨店】

イギリスの百貨店は小売販売額全体の5%を占めます。国内で最大規模の百貨店グループのジョン・ルイス百貨店や、セルフリッジ百貨店、高級百貨店ハーベイ・ニコルスなどの百貨店があります。価格引き下げの流れの中で、百貨店の高級化戦略が功を奏しているそうです。

また、ハロッズ百貨店は有名で、博物館のような雰囲気の百貨店です。この百貨店はイギリス王室のメンバーから御用達の指定も受けていました。

イギリスの食品小売業における価格競争を見るに、小売業の企業間の競争も国際的になってきていることが伺えます。

(参考文献 変わる世界の小売業)

スペインの小売業

本日はスペインの小売業に関して記載します。

【スペインの小売業の特徴】

スペインは、第2次世界大戦中から1975年までのフランコ将軍の統治していた時代、文化・経済両面で閉鎖的な社会となっていました。

スペインにおいて経済の自由化が行われたのは1975年以降で、小売業に関しても1970年代以降に急速に変化していきます。その変化は、小規模な家族経営の食料品店→スーパーマーケット→ハイパーマーケットというような流れで、徐々に小売業者が集中化していくという流れではなく、家族経営から一気に、巨大なハイパーマーケットが取って代わるというような、間を抜かした変化を起こしています。

また、スペインの小売業では営業時間に関連して面白い特徴があります。小売店は午前10時か10時半から開店し、午後8時か10時までオープンしているのですが、大半の小売店は午後2時から5時まで昼食とシエスタ(スペインの昼休みの習慣)のために店を閉めています。そして営業時間中で、最もショッピングに好まれる時間帯が、午後6時以降となっており、その時間帯での売上が50%を占めていると言います。レストランに関しても午後8時半まではオープンしないそうですので、比較的、夜型な人々の多い社会なのかもしれません。

【スペインの百貨店とザラ】

スペイン最大の小売業者は“エル・コルテ・イングレス”という企業で、50店舗以上の百貨店と32店舗のハイパーマーケットを経営しています。スペイン唯一の百貨店チェーンであるとともに、インターネット取引においても国内で最も成功している企業です(スペインの全インターネット取引の12%の売上シェア)。

ファストファッションのザラを持つインディテックス・グループは国際市場で急速に拡大している企業で、マッシモ・ヂュッティ、プール・アンド・ベア、ベルシュカ、ストラディバリス、オイショといったブランドを持っています。ザラは高い在庫回転率によって、「次に行ったときには同じ商品はない」という状態を作りだし、消費者の消費喚起につなげています。

(世界の小売業売上高(2010年度) エル・コルテ・イングレス47位 インディテックス49位)

【スペインのハイパーマーケット】

スペインでは多くの女性が労働市場に参入していることにより、個々の食料品専門店に行くよりも、ワン・ストップ・ショッピングができる、ハイパーマーケットやスーパーマーケット、ハード・ディスカウントといった店へ足を運ぶ傾向が強くなりました。

スペインには4つの主要なハイパーマーケットがありますが、そのうち2つがフランスの会社と関連するものとなっています。その一つはカルフール、もう一つはオーシャンです。フランスのハイパーマーケットはスペイン郊外の至る所で見られるそうです。

1960年代にスペイン人の自動車保有者は100人中1人でしたが、今では3人に1人が自動車を所有するようになりました。そのことが大型スーパーの成長につながったのです。

スペインでは、社会的に閉鎖されていた状況から解放された際に、海外からの企業の市場参入により、小売業界は大きな変化を遂げました。また、女性の社会進出によりハイパーマーケットの需要が大きくなったということからも、社会の変化と求められる小売システムの変化には相関関係があるということが言えそうです。

(参考文献 変わる世界の小売業)

ドイツの小売業

本日はドイツの小売業に関して記載します。

【ドイツの小売業を取り巻く環境】

ドイツは西欧で最も人口の大きい国で、GDP順位も世界で第4位の国となっています。小売業に関しても、ドイツの主要な小売業者の5社が世界の小売業売上高ランキング(2010年度)の20位以内に入っています。例えば、世界第4位には29か国において様々な事業を展開する“メトロ”、10位にはハード・ディスカウントやスーパーマーケット業態を展開する“アルディ”がランキング入りしています。その一方、今日のドイツは人口に比べて小売店が多すぎるオーバーストアの状態になりつつあり、小売業の生き残りをかけた戦いが熾烈な状況にあります。

【東西ドイツ統一がもたらした小売業への影響】

1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、翌10月に東西ドイツが統一されました。この出来事はドイツの小売業界に大きな影響を与えたと言います。それは東ドイツ国民の購買力がもたらした一時的な売上増、という影響です。統一前の東ドイツ国民は、国営の小売店からしか消費財を買うことが出来ませんでした。併せて贅沢品は資源の浪費と見なされており、購買できる品物は多くありませんでした。そのため、東ドイツ国民は多額のお金を蓄えるようになっていたのです。東西ドイツが統一する直前の1990年の前半、東ドイツ国民は「コンシュマー・ツーリズム」を標榜し、西ドイツまで買物のために旅行をしに出かけるほどで、西ベルリンの小売業の売上は1991年の上半期には24%増を記録したと言います。このように、東ドイツ国民の需要の高まりは一時的に好景気をもたらしました。しかしながら、それは短期的なものでしかなく、1992年、1993年と景気は後退していきました。

【ユーロ・ショック 消費支出の減少】

2002年にドイツの通貨がマルクからユーロへと移行しました。この際、「ユーロ・ショック」と呼ばれる消費支出の減少が起こりました。これは消費者がマルク建てよりもユーロ建てのほうが、製品が高くなっていると感じたために起こりました。実際、いくつかの小売業者はユーロへの移行に伴い、値上げを行ったのです。その一方で、アルディなどのハード・ディスカウント業態は低価格戦略をとります。このことにより、ドイツの食品雑貨の小売分野の構造は低価格構造へとなだれ込み、ドイツの小売業者はヨーロッパの中でも最も低い利益率の下でビジネスを行わなければならなくなりました。

【ドイツ政府による制度・規制】

ドイツはヨーロッパの中でも小売業に対して厳しい制度や規制がある国の一つと言われています。それら制度・規制に関して以下記載します。

■労働組合の影響力

労働組合の代表者が取締役会に加わることを義務付けています。また、大企業の監査役会の半分は労働者と組合代表者が占めることが求められています。これにより企業の経営者は自らの地位を維持しようとすると、過度なまでに労働者に影響されるという結果となっています。

■閉店法による営業時間の縛り

1956年に閉店法が制定され、2003年に緩和されましたが、小売店の営業時間が規制されています。平日は午前6時~午後8時までで、日曜日の営業は認められていません。

■包装法による小売業者への負担

ドイツでは、使い捨ての飲料の缶、ガラス瓶、プラスティックボトルなどの容器に預託金を課すことが要求されています。そして飲料水のサプライチェーンは連携して容器の回収システムを確立する責任を負っています。メトロなどの食品雑貨の小売業者は使い捨て容器の使用を禁止していますし、アルディは回収から最終処分にかかる費用が少ない独自の容器を導入しています。この法律により、一部の企業はドイツ市場への参入を見合わせているといいます。

近年、ドイツ統合やユーロ導入といった“仕組みの大変化”により、ドイツの小売業界は影響を受け、形を変えてきました。このことは、国や社会の制度・仕組みの変化により、消費環境が大きく変わり、小売業もその影響を受けることがあるという事例の一つだと考えます。

(参考文献 変わる世界の小売業)

オランダの小売業

本日はオランダの小売業に関して記載します。

【限られた国土面積ゆえの、小売業の国際化】

オランダはヨーロッパで人口密度が最も高い国であり、長い間に亘って政府が新しい建設地の使用を抑制していたことから、国内での店舗の拡大や拡張が制限されてきました。例えば、オランダのショッピングセンターの開発数は、フランスやイギリスと比べると半分程度だそうです。その様な中、オランダの小売業者は、国内市場での拡大展開の余地が限られていることから、積極的な国際化を進めることで成長の活路を見出してきたのです。

【オランダの小売業の国際化の事例】

オランダ最大の食品小売業者「アホールド」は世界の小売上位250社のリストの中で9位になっている企業です。

アホールドはアメリカで大きな投資を行っていますし、2005年にメキシコとアルゼンチンから撤退した後、チェコ共和国、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、スロバキアで店舗運営を行っています。

非食品小売業としては、ヴェンデックスがあり、こちらはベルギー、フランス、ドイツ、デンマーク、ルクセンブルク、スペインで事業を展開しています。

【オランダ小売業のロビー活動】

オランダは世界で最も法的規制が厳しい国です。膨大な数の法律と規制が、商業活動のあらゆる側面に影響しています。一方で、オランダ人は“合意に達する”ということが得意な国民だそうで、主要な小売団体が常に一致協力しているそうです。小規模小売業者の団体NWRと大規模小売業者の団体RND、二つの主要小売団体は専門のロビー集団を結成し、「小売店舗へのアクセスのしやすさ」「小売業に課される地方税の条件改善と種類減少の交渉」「万引き、強盗、破壊行動など、小売ビジネスに被害を与える犯罪行為」「小売業の為の支払制度や金融制度に対する料金、インフラ、規制に関して」といったことについてのロビー活動を行っています。

オランダの小売市場に拡大の余地が少なかったことから、オランダの小売業者は国際化を進めてきました。所与の条件の違いが小売業の発展に大きく影響する一つの例と言えると思います。

(参考文献 変わる世界の小売業)